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論泉 RONSEN

ノロウイルスの基礎知識

陳五郎


ノロウイルスの正体

はじめに

この冬、“猛威をふるうノロウイルス”や“ノロウイルスの恐怖”のような商業紙の報道見出しが目につきます。

だいたいの報道傾向は、【国立感染症研究所感染症情報センターの調査でノロウイルスを主な原因とする感染性胃腸炎が、過去25年で最大の流行となった。】といったふうの内容のものが多く、【例年、12月末に流行のピークを迎えることから、重症化しやすいお年寄りや子供は一層の注意が必要だ。】のように呼びかけております。

また、いついつ現在で何人のノロウイルス感染が、過去最多だった昨年を上回ったなどとさかんに訴えております。たとえば、【ノロウイルスによる感染性胃腸炎の大流行が止まらない。国立感染症研究所が定点調査を始めた81年以来最悪のペースで増え続け、安倍晋三首相が対策を指示する事態になっている。】とか。

さて、たしかにこのような報道内容に誤りがあるとは申しませんが、“猛威”とか“恐怖”あるいは“最悪”というような表現がはたして適切なものでしょうか? 報道のネタ元と思われる国立感染症感染症情報センターの報告には“猛威”や“恐怖”の文字は見当たりません。しっかりした知識を持って、正しい対処法を身につけることが肝要かと思います。

1.概要

現在ノロウイルスと呼ばれているものは、1968年、米国のノーウォークという町の小学校で起きた集団感染によって、はじめて確認されたというのが通説ですが、実際に確認同定されたのは1972年のことです。米国では以後、この集団発生がおこった地名、“NORWALK”にちなんで、ノーウォークウイルスと名づけられましたが、やがて遺伝子研究がすすむにつれ、このノーウォークウイルスと遺伝子的に類似のウイルスで胃腸炎に起因するウイルスがほかにも発見されはじめ、これらをひとまとめにしてノーウォーク様ウイルス(Norwalk-like virus)と呼ぶようになりました。

日本では1997年ころから、電子顕微鏡の画像の姿かたちをもとに小型球形ウイルス(SRSV:Small round structured virus)の名称が使用されはじめました。この折り、かきの生食等によって引き起こされる食中毒の原因物質という臨床学的位置づけがなされましたが、この表現が今冬、かき生産業者やその関連のかたがたに風評被害をもたらしているとして現在大きな話題となっております。なんだか、少し前の“O−157”とカイワレ農家さんの関係を思い出させてくれます。

日本では2003年の8月からノロウイルスの名称を用いるようになりました。ここ3〜4年の話ですね。同じ種類のウイルスですが、これからまだまだ名称変更される可能性はあります。さておき、これ以前、一般の医療機関では同様の症状をいわゆるおなかの風邪として一般の風邪やインフルエンザとひとまとめにして扱っておりました。風邪の扱いですから、集団発生があっても保険所等への報告は通常あまりしません。

また、「生のかきを食ってひどい目に遭った」という話は、随分以前からよく耳にした話です。私の周囲にもかつてそういう人が幾人もおりましたが、たいていの方々は何日間かの下痢や嘔吐を医療機関の受診なしに耐えぬいて済ませました。

要は、ノロウイルスによる食中毒とか集団感染とかがまともに注目され始めたのは、たかだか、ここ2〜3年の話なのだということです。過去最悪とか最大規模という表現は、こういったことを踏まえた上で聞いたほうが良いでしょう。

2.ウイルス

風邪にせよ食中毒にせよ、ノロウイルスが原因の胃腸炎は感染症であることに間違いありません。ヒトに病気を引き起こさせる感染症の原因となるものを一般に「バイキン」と呼びますが、「バイキン」は細菌とウイルスのふたつに分類することができます。正しくは、病原微生物といいます。

もともと「バイキン」については、サイズの大きい細菌のほうの研究が先行しました。光学顕微鏡から電子顕微鏡への技術進歩等に呼応して、だんだん小さいサイズのものの研究発見もなされていく訳です。ですから、始めは「バイキン」といえば細菌のことをさしていうのが普通でした。細菌は自身が細胞を持っています。ヒトに病気を引き起こさせる細菌を病原菌と呼びますが、これがヒトの体内に進入するとヒトの細胞に取り付きます。そして、取り付いた細胞の栄養を吸い取り、代わりに毒をはき出して相手の細胞を殺してしまいます。こうして栄養を吸い取った細菌は、自分が分裂して、仲間を増やしていきます。増殖といいます。

一方、ウイルスは細菌に比べサイズはとても小さくて、自身が細胞を持ちません。ですから、誰かほかの細胞に入り込まなければ生きていけません。宿主といいます。ウイルスがヒトの体内に入ると、その細胞の中に入り込み宿主とします。そしてその宿主細胞に、自分のコピーを作らせます。大量のコピーを作らせられた細胞は自身の役割(本当は自分の子孫を作ること)を終えたと勘違いして破裂して死んでしまいます。この時、破裂した細胞から大量のコピーウイルスが飛び出し、ほかの細胞に入り込みます。これをくり返してウイルスは爆発的に増殖するのです。

細胞は、ひとつひとつが細胞膜というシキリで仕切られています。先に細菌は自分の細胞を持っていると申しましたが、ということは、細菌はこのシキリを持っているということになります。抗生物質と呼ばれる薬は、細菌の細胞膜に取り付いて細菌を破壊したり増殖を止めさせたりすることが出来ます。細胞膜を持つ細菌は、ですから、一応薬で駆逐することが可能です。ところが自身に細胞を持たないウイルスには細胞膜がありませんから、ウイルスを薬でやっつけることはいまのところ困難な状態です。ウイルスを直接攻撃しようとすると、宿主であるヒトの細胞まで破壊してしまう恐れがあるからです。

では、私たちはウイルスに対し、どう戦っていけばよいのでしょうか。

3.免疫

私たち人間には「免疫」と呼ばれる感染症と戦うシステムが備わっています。ヒトに悪さをするウイルスの侵入をうけると、人間の体はウイルスとの戦いを始めます。たとえば、インフルエンザに対しては、くしゃみをしたり咳をしたりしてウイルスを外へ吹き飛ばそうとし、また鼻汁を出してウイルスを洗い流そうという反応をします。さらにウイルスは熱に弱いので、わざと高い熱を出してウイルスをやっつけようとします。

また、このようなウイルスとの戦いで、私たちの体はウイルスの型の特徴を記憶します。そして、次に同じ型のウイルスが体内に入ってきたときの準備を怠りません。今度同じウイルスの侵入を受けたときに、簡単にやっつけることができるようにします。これが免疫システムです。

このシステムを利用して、ごくわずかの量のウイルスや、ウイルスの毒性を取り除いたものをあらかじめ接種して将来のウイルス侵入に備えることが出来ます。ワクチンと呼ばれているものは、このうちのひとつです。

ついでに、新型肺炎は、新型のコロナウイルスが原因とされており、まったく新しいウイルスのため、ヒトはこの新型ウイルスに対する免疫を持っていません。ヒトは容易に感染し、次々と発症しますが、肺炎の場合直接命を奪うほど重症化することもあります(後述しますがノロウイルスの場合、直接死亡にいたることはありません)。しかし、新型肺炎といえども、発症者の9割以上は、自分の力で治してしまいます。病気に打ち勝つ力があるからです。日本ではまだ新型肺炎の流行はありませんが、仮にそういうことになっても、パニックに陥るようなことがあってはなりません。もちろん、流行を拡散させぬようしっかり予防措置を取ることが大切であるとともに、一刻も早いワクチンと治療薬の開発が待たれるところですが。

4.2006年のノロウイルス

ノロウイルスに戻りましょう。2006年の流行状況について目を移しますと、国内では9月末ごろから患者が増え始めました。国立感染症研究所感染症情報センターの調査によると、12月4日〜10日の1週間で新たに6万6871人が感染性胃腸炎を発症。ほとんどノロウイルスが原因とみられています。都道府県別では福井、愛媛、埼玉、富山、宮城、山口などが多く、現在は西日本から東日本に流行が移りつつあるといいます。一方、海外では、ドイツ、英国、スウェーデン、フィンランド、デンマークなど南欧の一部を除く欧州の広範囲で例年を上回る流行が報告されているようです。カリブ海や大西洋を航行中の米客船でも大規模な集団感染がありました。

今回、これほど流行している理由は何でしょう。ウイルスの遺伝子が変化して感染しやすくなったのではないかという説もありますが、世界中のノロウイルスが一斉に変化したというのは、ちょっと考えにくいと思います。

また、今年度のノロウイルスはどうしたことでしょう。これまで、死亡報告例は、せいぜい年に1件程度。2003年はゼロでした。それなのに、今回に限っては複数の死亡者が報告されています。

先にも少し触れましたが、ノロウイルスが直接ヒトの命を奪うことはありません。死亡の原因は、吐物を喉や肺に詰まらせる誤嚥(ごえん)性肺炎がほとんどです。吐物を自力で吐き出しきる体力のない乳幼児や老人等が不幸に見舞われます。まれに水分・栄養補給が出来ず、脱水等で亡くなる場合もありますが、やはり同様の方々が犠牲となります。こういった死亡例が出た場合、医療機関がはたしてノロウイルス感染症を死亡原因として取り扱ったかどうか。前年度以前に関しては、死亡例がなかったのではなく報告がなかっただけではないでしょうか。

2007年1月1日

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ノロウイルス感染症に迫るために

1.感染症とは

バイキンの類が私たちの体の中に入って、体に取り付き、増殖して病気を引き起こさせ、これらをやっつけようとしている状態を「感染している」といいます。医学書的に難しく書くと、【感染(infection) とは微生物が生体宿主に侵入して定着、増殖し、なんらかの障害を与え、結果的に宿主に免疫反応を惹起させることと定義される。】となります。前章の内容をご理解いただけたなら、この表現でも難しくはないと思いますがいかがでしょうか? だんだんと専門的な用語を使用しながら進んでいきたいと思います。 さて、私たちがバイキンの感染を受け病気になっているとき以外のとき、すなわち感染症を引き起こしていないとき、私たちの体にはバイキンの姿は見つけられないのでしょうか。もしそうなら、そのことを無菌状態というのですが、実は、そんなことはまずあり得ません。さまざまなバイキンたちが私たちの体のあちこちに住みついているのです。私たちの体に日常的に生息する細菌を常在菌と呼びます。実際、オーバーな表現ではなく、細菌は人体の、直接、間接を問わず外界と接触している場所のすべてに生息しています。いない場所を探したほうが手っ取り早く済みます。

私たちが持っている常在菌の種類や量は人により、また生息場所によりまちまちです。常在菌はその場所に定住しているかぎり、またその人が健康であるかぎりまず私たちに危害を加えることはありません。しかし、本来の居処でないところに迷いこんだり、何らかの理由で身体の細菌に対する抵抗力が低下したときには牙をむきます。たとえば、体力のない高齢者が風邪をひいたりインフルエンザにかかったりすると、呼吸器官にいる細菌たちが肺炎をひき起こすことがあります。俗に、風邪をこじらせるといいます。

2.病原体

私たちが不幸にして遭遇する細菌感染症の多くは、こういった常在菌としての性格の強い、言いかえれば、病原性がそれほど強くない菌によって引き起こされます。医学の世界では「微生物の侵入なくして感染せず」という格言のような言葉もありますが、実際は微生物の侵入があらゆる感染の成立を意味する訳ではありません。食べ物や空気中に存在する雑菌と呼ばれる微生物の侵入を常に私たちは受けているはずですが、ほとんど宿主として定着させることなく排除してしまっています。また、正常なヒトの腸管には多種多様の細菌が定住していて、いわゆる正常腸内細菌叢(のう)というもの構成していますが、これは感染とはみなしません。これが有害なら、納豆やヨーグルトは食べられません。

しかしながら、一方、私たちが何らかの病的状態に陥っていて、体力的に非常に弱った状態にあるとき、日常侵入している雑菌的な微生物や、正常腸内細菌叢(のう)に過ぎない非病原菌でも感染を引き起こすことができます。

そろそろ、バイキンという呼称を病原体と言い換えましょう。病原体が人体に感染するためには、まず最初にヒトが持っている防御態勢を突破しなくてはなりません。この防御態勢を突破する能力のことを侵襲性といいます。

私たち人間の側から見ると、病原体の侵入経路は皮膚、呼吸器、感覚器、消化器、泌尿器、生殖器、以上六つしかありません。

どうしてこの六つの器官が病原体のターゲットになるかというと、理由は簡単。これら六つの器官は、すべて人間と外界の境界になっているからです。当然、こうした侵入経路の器官には、それぞれ病原体に対する防御態勢が備えられています。

上部の呼吸器には、繊毛運動といって細かい毛が波打つように動いて侵入物を送り出してしまう働きがあります。消化器が蠕動運動というミミズのような動きをするのも、同じように侵入物を排除する防御機能としての役割をはたすためです。 胃の中はPH3程度の強い酸性になっていて病原体の棲みにくい環境を作っています。眼は涙によって、泌尿器は尿によって病原体を洗い流します。腸の中にいる常在菌は、病原菌の侵入に抵抗しています。ヒトに感染するのは、こうした人体の防御態勢を突破する侵襲性の強い病原体です。

この侵襲性の強弱も、感染経路と同じように、病原体の種類によって決まっています。破傷風は今でも恐ろしい感染症のひとつですが、破傷風菌は侵襲性が弱く、深い傷がなければ人体に侵入することができない病原菌です。エイズウイルスも傷口がないと感染できない侵襲性の弱い病原体です。これらに対して、たとえばB型肝炎ウイルスや麻疹ウイルスなどは非常に侵襲性の強い病原体で、触れると体の内部に侵入する可能性が大きいとみてよいでしょう。

3.ウイルス感染

ノロウイルスは、カリシウイルス科という命名分類法で分類される、大きさ約27ナノメートル(27nm(1nmは10‐6mm))のRNAをもつウイルスです。構造上の分類ではRNAウイルスとよばれます。難しいですね。

ウイルスの基本構造は、粒子の中心にあるウイルス核酸と、それを取り囲むカプシドと呼ばれるタンパク質の殻から構成された粒子で形成されます。その大きさは小さいものでは数十ナノメートルから、大きいものでは数百ナノメートルのものまで存在し、他の一般的な生物の細胞(数〜数十マイクロメートル)の100〜1000分の1程度の大きさとなっています。まあ、読み飛ばしておいてください。

ノロウイルスについてお話する前に、まず、一般的なウイルス感染について、感染経路から見ていきましょう。

私たちが日常生活上感染の機会の多いのが、気道感染と経口感染です。

ウイルスを含んだ痰やくしゃみが空中に飛び散ることにより、軽くて空中に浮遊するウイルス粒子を鼻から吸い込んだり、あるいは、手などを介して口から侵入し気道感染を起こすものが気道感染です。空気感染というわかりやすい言い方がよくされます。

経口感染は、不十分な手洗いや加熱により、知らない間に糞便等に混在したウイルスが口から入り消化管の粘膜に感染したものです。また、衛生状態のよくない地域での飲料水が感染源になる事もあります。

この他、ウイルスを持った蚊やダニなどの昆虫に刺されることにより、皮膚から侵入して感染する経皮感染、ウイルスに汚染された血液や血液製剤の輸血などにより感染する血液感染などがあります。

このような経路で人体に入り込んだウイルスは、細胞表面への吸着→細胞内への侵入→脱殻(だっかく)→部品の合成→部品の集合→感染細胞からの放出、という手順で増殖します。以下、それぞれ説明します。

吸着:ウイルス感染の最初のステップはその細胞表面に吸着することです。ウイルスが宿主細胞に接触すると、ウイルスの表面にあるタンパク質が宿主細胞の表面に露出している分子のどれかを標的にして吸着します。このときの細胞側にある標的分子のことをそのウイルスに対するレセプターと呼びます。ヒトがウイルスに感染するかどうかは、そのウイルスに対するレセプターを細胞が有しているかどうかが決め手になります。ロッククライマーを想像してみてください。クライマーがロッククライミングをする際に、わずかな岩の出っ張りを足場にしてぴったり岩壁に吸い付いている姿です。選ぶ足場はクライマーによって違うかもしれません。同じように、ウイルスによって好みの足場があるということです。

侵入:細胞表面に吸着したウイルス粒子は、次に実際の増殖の場になる細胞内部へ侵入します。侵入のメカニズムはウイルスによってさまざまです。ここに至るまでウイルス粒子は自身の内部を守るためカプシドという殻をまとっています。

脱殻:細胞内に侵入したウイルスは、そこで一旦カプシドが分解されて、その内部からウイルス核酸が遊離します。この過程が脱殻です。ウイルス核酸にはDNAとRNAがありますが、いわゆるコピー原稿の原本みたいなものです。脱殻から粒子の再構成までの期間は、感染性のある完全なウイルス粒子(ビリオンといいます)がどこにも存在しないことになり、この時期を暗黒期、あるいは日蝕や月蝕になぞらえてエクリプス(蝕, eclipse)と呼びます。

部品の合成と集合:構造蛋白と核酸を組み立ててウイルス粒子を形成します。

放出:細胞外にウイルス粒子を放出します。

このようにしてウイルスはヒトに感染し、宿主細胞にさまざまな変化をもたらします。

では、ノロウイルスに感染するとヒトはどうなるのでしょう。

2007年1月3日

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ノロウイルス感染症各論

1.臨床症状

冬季に発生する食中毒のほとんどは、ウイルスが原因とされています。なかでも、その90%以上がノロウイルスによって引き起こされるものと思われます。食中毒としての原因食品は、生かきやアサリ等の魚介類があげられ、摂食後1〜2日後に突然吐き気に襲われ、嘔吐や下痢が1〜2日くらい続きます。また、頭痛、発熱、咽頭痛など風邪とよく似た症状の併発が多く見られます。何故か、夏季にはウイルス性食中毒の報告がされません。結局のところ、ノロウイルスの生態はいまだよくわかっていないのです。

厄介なのは感染しても発症しないまま終わる不顕性感染というやつです。これらの人たちにもウイルスによる感染は成立しており、その糞便中にもウイルス粒子は排出されています。

2.感染経路

ウイルスの増殖には生きた細胞が必要です。ですから試験管の中で人工的に培養増殖(in vitroといいます)させることはできません。では、意図的にウイルスを増殖させるためには、生きた動物に故意にウイルスを植えつけて感染させるしか方法はないのでしょうか(in vivoといいます)。答えは否。現在では、いろんなウイルスを生体外の培養器内で増殖させることが可能になりました。動植物の一部の細胞や、あるいはがん細胞など、永続的にくり返し増殖できる細胞をまず培養し、その細胞にウイルスを感染させた後、ウイルス増殖させるというやりかたです。細胞培養法といいます。生体の組織や細胞を体外に取りだし、細胞をバラバラにして、適度な環境の培地が入ったプラスチックやガラスの容器を用いて増殖させるというこの方法によって、近年、ウイルス研究は大幅に進歩しました。しかし、ノロウイルスに関しては、培養細胞を用いた培養法は、いまだ確立がなされていません。

ノロウイルスはヒトを唯一の宿主とします。ということは、ヒト以外の自然界で増えることはありません。いろいろ言われている食材についてもそうです。ノロウイルス感染症は、まず、ヒトに取り込まれたノロウイルスが、そのヒトの腸管内で増殖し、排出され、何らかのルートで次のヒトに感染を起こさせることにより拡散するのです。では、どうしてノロウイルスに感染する原因として、かき等の貝類の摂食事例が多いのでしょうか。

かきは、1時間あたり20リットル近い海水を取り込み、そのなかのプランクトンなどを胃袋にあたる中腸腺という場所に濃縮しエサとしています。ここにノロウイルスが含まれていると感染の原因となるのです。かきがやり玉にあげられる理由は、生あるいは不十分な加熱で摂食されることが多いことに加え、中腸腺が身の中にあるため除去されることなく調理されるからです。ホタテ貝などは、刺身で食べる貝柱とこの中腸腺が離れた場所にあります。また、ほかの二枚貝を含む魚介類たちも原因になる可能性はありますが、多くは、危険部位が加熱して食されるため感染事例はきわめてまれです。ところで、海水中にいるノロウイルスはどこから来たのでしょう。実は、ヒトの小腸で増殖したウイルスが糞便中に排泄され、下水から沿海へと流れ出たものなのです。いわゆるひとつの食物連鎖です。

3.もうひとつの感染経路

ノロウイルスは酸に強いウイルスです。このため、口から入ったノロウイルスは胃酸という防御態勢をたやすく突破します。そして小腸まで達すると、空腸という場所の上皮という部分に感染し増殖します。すると、腸の表面の絨毛(じゅうもう)という組織をはがしてしまうためヒトに下痢を引き起こさせます。ノロウイルスの場合は少量(10〜100個)のウイルスを摂取しても感染が起きてしまいます。そのために食物ばかりでなく、手などに付着したウイルスからも感染症を発生させます。二次感染といいます。 感染症には、それぞれ特有の時間経過があります。

潜伏期間:症状が出るまでの時間

病期:症状が出ている期間

排菌期間:病原体を排出している期間

ノロウイルスの潜伏期間は1〜2日、病期は12〜60時間です。主な症状の吐き気、嘔吐や下痢は数日で治まりますが、排菌は症状が出る前から始まり、無症状になってからも何週間かの単位で、ウイルスをまき散らしている可能性があります。10〜100個程度で感染したノロウイルス感染症でも、いったん発病すると、その患者の便1グラム中からは100万個程度のウイルスが検出されます。すべてが排出されるのに健康な成人で1週間、幼児では3カ月かかる場合すらあるといいます。症状が治まっても便の中にウイルスを排出し続けるので、ヒトからヒトへの二次感染に注意しなければなりません

4.病原診断

ノロウイルスの検出はあくまでも電子顕微鏡による観察が基本となりますが、対象(検体といいます)が患者糞便に限られるというのが難点です。この方法で検出するためには、検体1mLあたり10の6乗個以上のウイルス粒子が必要となりますので、検出感度は低いとしか申せません。また、形態的にノロウイルスが観察できても、それがノロウイルスであると本当に言い切れるのかどうかわからないというのが現状です。先に申しましたようにノロウイルスは、培養細胞で再現性よろしく増殖させることができません。これがネックとなり、ノロウイルスに関する基礎的な研究は遅れていました。しかし、ここ数年で20株を超える ノロウイルスのゲノム全塩基配列が決定されました。ゲノムというのは生物がその生物足らしめるのに必須な遺伝子情報のことで、塩基対という単位で構成されています。難しくなって恐縮ですが、このウイルスゲノムが詳細に解析されたことによって、新たな診断法が開発されたということを知っていただければ充分です。ただし、ノロウイルスの新しい遺伝子型は現在もなお発見され続けており、一層の研究開発が待たれるところです。本稿執筆中に次のような情報が飛び込んできたので紹介します。

便から直接検出:島津製作所(京都市)は13日、下痢やおう吐などを起こす感染性胃腸炎の原因であるノロウイルスの遺伝子を、ふん便検体から直接検出できる試薬を世界で初めて開発したと発表した。18日から試薬キットの販売を始める。検査が簡単、迅速になるという。全国の検疫所などが販売対象。

従来の試薬でふん便検体からノロウイルス遺伝子を検出するには、ふん便を固体と液体に分離した後、ウイルス検出を阻害する酵素の働きを抑えるなど煩雑な作業が必要だった。新キットを使えば、作業時間が約10分の1に短縮されるという。

1キットで48サンプル検査できる。2種類あり各6万5000円(税別)。【山田奈緒】

毎日新聞 2006年12月13日

5.治療と予防

くりかえしになりますが、ノロウイルス感染者により排泄された排泄物、もしくは吐物は下水を通じ汚水処理施設に辿りつきます。しかし、ノロウイルスなどのウイルスの一部は浄化処理をかいくぐり河川に排出され、海へ運ばれ、かきなどの貝類の中で濃縮されます。汚染した貝類を生のまま食すると、再びウイルスは人体に戻り、感染を繰り返します。しかし一般に、加熱した食品であればウイルスは完全に失活するので問題ありませんが、サラダなど加熱調理しないで食する食材が感染源となり得ます。例えば、汚染された貝類を調理した手や、包丁・まな板などから生食用の食材に汚染が広がると考えられます。また最近の報告では、ノロウイルスの感染者を看病したり、患者の吐物、便などから直接感染するヒト‐ヒト間の感染があることも明らかにされているということは述べました。糞口感染するウイルスであるので、食品衛生上の対策としては、食品の取り扱いに際し入念な手洗いなど衛生管理を徹底すること、食品取り扱い者には啓発、教育を十分に行う事が大切となります。身近な感染防止策として手洗いの励行は重要。また、吐物など、ウイルスを含む汚染物の処理にも注意が必要となります。粒子は胃液の酸度(PH3)や飲料水に含まれる程度の低レベルな塩素には抵抗性を示し、また温度に対しては、60度C程度の熱には抵抗性を示します。したがってウイルス粒子の感染性を奪うには、次亜塩素酸ナトリウムという消毒剤などで消毒するか、85度C以上で少なくとも1分以上加熱する必要があるとされています。

治療としてはノロウイルスの増殖を抑える薬剤はなく、整腸剤や痛み止めなどの対症療法しかありません。

6.感染症法および食品衛生法におけるノロウイルス取り扱い

感染性胃腸炎は5類感染症定点把握疾患に定められており、全国約3000カ所の小児科定点より毎週報告がなされています。報告のための基準は以下の通り。

○診断した医師の判断により、症状や所見から当該疾患が疑われ、かつ、以下の2つの基準を満たすもの

 1.急に発症する腹痛(新生児や乳児では不明)、嘔吐、下痢

 2.他の原因によるものの除外

○上記の基準は必ずしも満たさないが、診断した医師の判断により、症状や所見から当該疾患が疑われ、かつ、病原体診断や血清学的診断によって当該疾患と診断されたもの

一方、食品衛生法では、

食中毒が疑われる場合は、24時間以内に最寄りの保健所に届け出る。

となっております。

感染症法の、“医師の判断”というところがミソです。

7.対処法

まず申しますが、ノロウイルスは、新型肺炎や新型インフルエンザあるいはB型肝炎やエイズウイルスのように危険なウイルスだということでは決してありません。公表される流行状況の規模の大きさに違いはあれ、今冬だけ特別なノロウイルスなのではありません。

死亡報道のあった高齢者等のケースは、吐物で窒息したか、吐いたものを肺に吸い込んだための誤嚥(ごえん)性肺炎が原因と考えられますが、これは咳をする力の衰えた高齢者や体力のまだ未熟な乳幼児等が嘔吐した時に起こることという医学的にはあたりまえに知られている危険性で、同じことがもし患者の自宅で起きていれば事件として報道されることはなかったでしょう。

また、老人福祉施設、学校、保育園等で流行したからその施設の責任が問われるなどということはあろうはずもなく、仮にそうだとしたら、毎年、毎冬、ほとんどの施設等で「集団感染」と報道されることになるわけで、事の軽重を判断できずに大騒ぎしているいまの商業報道機関の姿勢には大きな疑問があります。どのマスコミ各社内でも、複数人の風邪症状や下痢、嘔吐の症状を持つ人はいるはずです。

ボヤいていても仕方ありません。最後に、ノロウイルス感染症をまん延させないために具体的に私たちができる予防法について述べましょう。

まずは、手洗い。ウイルスを失活化する効果はありませんが、手指の汚れを除去することで、ウイルスを手から剥がれやすくすることが目的です。また私たちを病原体から守ると同時に、私たち自身が周囲に対する感染源になることを防ぐ効果があります。手洗いのタイミングは食事の前、トイレの後、調理の前、介助介護の前後など、いろいろ言われますが、とにかくしょっちゅうすることをお勧めします。何かしたらさあ手洗いを心がけましょう。手洗いにかける時間についても、30秒とかいわれますが、可能な限り長い時間流水で洗い流すほうがいいにきまっています。念入りに洗ったつもりでも、親指の付け根と指先は洗い落としがおこりやすいのでこの部分は意識してください。石鹸の使用は、手洗い時間を延長するという意味では有効です。ただし、注意が必要なのは手荒れです。手荒れをしていますと、その荒れた皮膚の内部に病原菌がひっかかってしまいます。あまりに熱心な手洗いで、手荒れを引き起こさないよう注意しましょう。

あとは消毒ですが、消毒法について述べますとまた長くなってしまいます。ここでは簡単に。

ノロウイルスが対象の場合の消毒法は、熱湯による加熱消毒と次亜塩素酸ナトリウム(一般に『キッチンハイター』や『ブリーチ』という商品名で売られています)という消毒剤の使用のどちらかを選択します。

便と吐物が感染源となります。便については、排便後の十分な手洗いと、汚染された手で触る可能性のあるあらゆる場所の清掃と消毒が肝要です。

嘔吐物については、実際に嘔吐された場所の清掃と消毒が必要です。

あと、調理器具等は、洗剤などを使用し十分に洗浄した後、次亜塩素酸ナトリウムで浸すように拭きます。ただし次亜塩素酸ナトリウムは、ステンレス以外の金属に使用は出来ません(腐食します)。手指の消毒にも使えませんので注意してください。まな板、包丁、へら、食器、ふきん、タオル等は熱湯(85度C以上)で1分以上の加熱が必要です。これら以外の場所(たとえば家具、床などの室内環境)の消毒は不要でしょう。日常的な清掃が行われれば、十分です。もちろん吐物等が付着したら別ですよ。消毒のタイミングは、必ず、清掃のあとに行います。清掃しないまま、消毒しても効果は期待できません。ふき取りなどを行って、便や吐物(有機物)がない状態で、消毒をします。嘔吐があれば、そのたびに、充分な清掃と消毒をし、終了するまで子どもなどに触らせないようにしましょう。タイミングを守らなければ感染経路を断つことはできず、新たな患者が発生する可能性があります。

おわりに

本稿は、もともと“暮らしの雑記帖”として、簡単なノロウイルス対処法を掲載する予定でした。ところが、執筆の最中、昨年発表した『鳥インフルエンザの脅威とどう向き合うか』の中で【『インフルエンザのウイルス学の基礎』及び、『スペインかぜから学ぶべきもの』というテーマで本稿の補足が出来れば幸いと思う。】と発言していることを思い出しました。長らくほったらかしていた宿題のひとつ『インフルエンザのウイルス学の基礎』を本稿に替えさせていただくことをお許しいただければ幸いです。ただ、つたない解説であったことはお詫び申し上げます。

※拙論「鳥インフルエンザの脅威とどう向き合うか」参照

2007年1月8日

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