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論泉 RONSEN

論泉コラム


平成18年7月16日

会社、この狂った世界

哀しい事だが、会社というのは余り楽しい場所ではないらしい。何故会社は面白くないのか? その主たる原因と思われるのが人間関係の猥雑さである。プライベートでは絶対につき合いたくない種類の人間でも、つき合わざるを得ないのが組織に足を踏み入れた者の宿命なのである。少なくともつき合っているフリぐらいはしなくてはならない。それには高度な演技力が要求される。冷静に考えてみればバカみたいな話なのだが、時間と労力の無駄としか思えない三流芝居が延々と繰り広げられるのが会社という名の舞台なのである。このエネルギーを正当な方向に向ければ、その企業も相当発展すると思うのだが…。僕もまた約7年間に亘って猿芝居を踊り続けた。もしあなたの勤める会社で円滑な人間関係が築かれているとしたら、それはかなりの幸運と言えるだろう。与えられた仕事に集中して、是非業績を伸ばしてもらいたい。会社というのは一種の「魔界」であり、入ってみなくてはわからない部分が相当にあるのだ。就職説明会では巧妙に隠蔽されていた組織特有の歪み(狂気と言っても良い)に入門者は遅かれ早かれ遭遇する事になる。

大学を卒業して、僕は地元のA社に就職した。前にも述べたが、入社当時の僕は仕事にも生きる事自体にも嫌気が差していた。面倒臭いから首でも吊ろうかと半ば本気で考えていたぐらいである。そんな状態で僕は「会社」というデンジャラスな世界に突入してしまったのである。そこにはそれまでの人生では体験した事のない異様な世界が広がっていたのだった。その世界ではデーモン族さながらの奇人変人怪人が蠢いており、外見はともかく、精神的には無力な子羊に過ぎない僕には生存する事さえ危ういように思われた。よく死ななかったものである。同期入社の中には特有の毒気に耐え切れず、身も心もズタボロになり、会社を去った者も少なくなかった。A社の場合、仕事自体はそんなに複雑ではないし、肉体を破壊されるような重労働がある訳でもない(一部を除く)。彼らをノイローゼに追い込んだものは一体何なのか? ストレスである。全ては人間関係を起因とするストレスである。ストレスは人を殺す威力を秘めている。特に今の若い人はストレスに弱い。親にさえ怒られた事もなければ、どつかれた事もない(と思われる)幸せな人達である。何の免疫も持っていない連中がいきなり黴菌の巣窟に放り込まれたらビョーキになってもおかしくないよな。

企業というのは原則的に縦社会である。部下たる者、上司の命令には従わなくてはならない。良き上司に恵まれればこれもまた幸運である。何を持って「良き上司」と判断するのかは非常に難しいが、それは別の場所で考えてみる事にしよう。良き上司に比べると「困った上司」の数は圧倒的に多いようだ。実際、僕の通っていたA社もそうだった。自分の保身に奔走している程度ならまだ可愛いし、人間的とも思う。どう考えても許せないのが自分の立場を利用して個人的なストレスだのコンプレックスだのを下の人間にぶつける奴である。はっきり言って、最悪の人種である。在社中、気の弱い僕ですら何度か殺意を覚えた。実行に移さなかったのが不思議である。僕の勤めていた会社はある一族に完全支配されていた。当然、会社の重職は軒並み親族で固められている。特に「皇族」の皆様は役職にこだわる性質を持っておられたように僕には感じられた。社長だから偉いんだ。常務だから凄いんだ。という餓鬼じみた論理である。論理というより妄想に近い。役の重みと演者の実力が合致していれば問題はないが、このバランスが崩れると、世にも悲惨な状態になる。役職のみが一人歩きして弱者を食い始めるのである。第三者から見ればさぞ滑稽な光景だろうが、食われる側としてはたまったものではない。まるでマンガである。いや、マンガを超えている瞬間が幾度もあったと記憶している。

僕の先輩であるBさんもかなり風変わりな性格、気性の人物であった。Bさんは強烈な性的劣等感を抱えていた。本人は否定するかも知れないが、彼の言動や行動を考慮するとそう思わざるを得ないのである。劣等感を抱えているのは本人の勝手だが、ドロドロした感情を言葉の刃に変えて、他人を攻撃するのがBさんの得意技であった。刺す相手は勿論反撃を受ける心配のない人間に限られる。その辺りの識別能力は正確を極めた。僕も随分と嫌がらせを受けたものである。何処で見たのかはわからないが、僕の性器についてとやかく言い出した時には流石に気味が悪くなった。この人は本物の狂人ではあるまいかと戦慄したのものだ。彼には男色の傾向が多少あったのかも知れない。だが、Bさんの台詞を聞いている内に、彼がどうやらセックスの経験も知識もほとんどない事が徐々にわかってきた。それを遠回しに指摘すると、Bさんは遊具から墜落した幼児のような顔をしてその場から退散していった。

その後もBさんの嫌がらせは定期的に続いた。頼んでもいないのにBさんは「誰某がお前の悪口を言っていたぞ」と詳細に告げてくれるのだった。Bさんのもうひとつの得意技である。自分のもたらした情報によって、衝撃を受けたり、落胆したりする僕の表情を見るのが、彼にとっては至上の喜びに繋がるらしい。その際のBさんの嬉しそうな顔が未だに脳裏にこびりついている。完全に狂っていた。あれは最早人間の顔とさえ言えないのではないか。それにしても「寸鉄人を刺す」とは言ったものである。言葉の暴力というのは本当に恐ろしい。寸鉄に抉られたキズが回復する事は永久にないように思う。Bさんに被ったキズを背負って、僕はこれからも生きてゆかなくてはならないのである。

ついでに言っておくと、無神経な人間というのは、文字通り「神経が無い」と看做しておいて間違いはない。だから他人の心を土足で踏み躙っても平気だし、どのような下品な行為でも平然とやってのける。このような人間と戦う為にはこちらもそれなりの覚悟が必要となるだろう。大いに戦ってもらいたい。相手が上司であろうが経営者であろうが関係ない。別に喧嘩を推奨する訳ではないが、我々は会社員である前に一個の人間である。人間として、自分の尊厳を守る為に戦うのは当然であろう。だが、狂った世界においては常識が常識として通用しない事がよくある。そんな会社ならさっさと辞めてしまうのが得策である。会社はひとつではないし、仕事だって贅沢さえ言わなければ幾らでもあるのだ。一度や二度の軌道修正は許される。いつまでもアホな連中とつき合っている方が余程時間の空費であり、人生の浪費である。僕も会社を辞めてサッパリしたクチである。心残りがあるとすればBさんをついにぶん殴れなかった事ぐらいかな。その度胸が僕にはなかった。でも暴力に訴えたらその時点でオシマイだったような気もする。それが大人の世界ってもんでしょう、多分。

(宮村直佳)

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平成18年6月19日

サラリーマンのなり方

学校を卒業してから地元のA社(とりあえずこう呼んでおく)に就職した。田舎の会社にしては知名度も高く、傍から見れば「優良企業」という事になるのだろうか。当時(今もかな?)は就職難の真っ只中にあり、行く所があればシアワセというような風潮があったように思う。特に僕の地元などは企業数が絶望的に少ないので選択の幅は益々狭くなる。都市部の大学に通っていた連中が親元に帰ってきても「勤め先がない」という事も珍しくないのである。僕の知人にも就職浪人が何人かいた。僕の就職活動は実にいい加減なものであった。端からやり甲斐のある仕事なんて就けっこないと思っていた。それなら一日でも早く落ち着き先を決めてしまって、残り少ない学生生活を堪能した方がマシだと考えていたのだ。

A社との縁はその始まりからして異常なものであった。僕から接触した記憶はない。ある日突然A社から就職説明会の案内状が送ってきたのだ。どうしてA社が僕が来年大学を卒業する事を知っていたのか? 未だによくわからない。何者かが勝手に僕の個人情報(その頃、この用語は流通していなかった)を流した(売った?)としか思えないのである。就職活動の時期になると、ホテルや公会堂等で地元企業による「合同説明会」が催される。就職希望者はこのイベントに出席して、各企業の人事担当者に直接説明を聞き、自分の進路を徐々に絞り込んでゆくのである。ところがA社は当時そのメンバーに入っていなかったのである。いや「入れなかった」のだ。その理由を僕は後から知る事になるのだが、その時点では首を傾げるに留まった。もう少し追求すべきであった。で、就職試験の日がやってきた。筆記テストなどは一切なく、社長との面接で合否を決定するという大雑把なやり方であった。マニュアル通りの受け答えだけはしたくなかったので、僕は好きな映画の話をしてその場を誤魔化した。十中八九滑ったと思っていたのだが、結果はどういう訳か合格であった。何の事はない。この日の面接を受けた者は全員合格したのである。その理由も後々判明した。

世間の評判に関係なく、僕はA社に対して余り良いイメージを抱いていなかった。直裁に言ってしまうと、取り扱っている商品がインチキ臭いのである。入社後、商品生産の現場にも幾度となく携わったが、その妄念に変化はなかった。むしろ入社前よりも強まったぐらいである。商品の形態も泥臭いし、パッケージも全体的にダサい(一部例外もある)。こんな商品を俺は一生売り歩くのかと考えただけで気が狂いそうになった。そのまま狂ってしまえば良かったのだが、人間という者はそう簡単に狂えないものらしい。毎月恒例の営業会議で社長が「商品を愛していない者が商品を売れる筈がない」という意味の台詞を再三発言していた。まさに至言である。この言葉自体は全く正しい。お前がそれを言うのか? という当然の疑問を別にすればの話だが。これは営業(商売)に従事する者の基盤となる考えであり姿勢である。だが、社長の言葉に納得すればするほど僕は苦悩に沈むのだった。何故なら僕がA社の商品を愛する事は永久に不可能だと確信していたからである。このような中途半端な感情を抱えながら会社に通うぐらいならさっさと辞めてしまえば良かったのだ。雇用側にも失礼である。だが、どうしても踏み切れなかった。当時の僕は会社を辞められない理由に捉えられており、それに雁字搦めになっていたのである。今にして思えば滅茶苦茶ツマラナイ理由なんだけど…。

結局、僕は約7年間をA社で過ごした。最初の5年は営業、後の2年は工場勤務である。途中、問題発言(行動)の咎により、密室(と呼ばれているセクション)に放り込まれたりもしたが、まあ、概ね以上の時間配分である。営業部時代は地元全域と福井県と岐阜県、そして関東甲信越を担当していた。これは貴重な体験であった。担当していたと言っても問屋さんに行って企画書を配布して歩いているだけの事である。たまに倉庫に潜り込んで在庫の検品などもしたが然程複雑な作業ではない。小学生でも可能な内容だ。最初は全くやる気がなかったのだが、次第に営業の面白味を感じ出したのだから不思議である。何度か得意先に通っている内に先方とも打ち解けてくる。世間話をしたり、仕事の後に呑みに行ったりする機会も出来始めた。ある程度コミュニケーションが成立してくると、新しい企画の説明や売込み等もやり易くなってくる。その瞬間、営業のコツのようなものを掴んだような気がした。言葉使いも段々洗練されてきて、得意先や目上の人にどうやって話せばいいのかも自然に覚えた。現在も大いに役立っている。これは幾ら入門書を読んでも習得出来ない範疇ではないかと思う。偉そうな事を言わせてもらうと、営業マンは現場にぶつかるしかないのである。実戦あるのみだ。理屈は後からついてくる。先方に怒鳴られている間に自分なりの回避策や反撃策も次第に確立されてくるという仕掛けだ。好き好んで得意先に怒られる人はいないと思うが、こればっかりは仕方がない。

会社と得意先との板挟み。ストレスの溜まり易い営業職ではあるが、比較的時間を自由に使えるという利点もある。事務職や生産職には有り得ないメリットである。ノルマを達成してしまえば極端な話、あとは遊んでいたって構わないのである。人生の達人や各分野のプロに出遭える機会が多いのも嬉しい。僕も英雄豪傑と話をする場面に随分恵まれた。日本だけでもこれだけユニークな人がいるのだから、世界は途轍もなく広いんだろうなあとらしくもない感慨に耽った事もしばしばであった。いざ出張に出れば、その土地土地の名物が味わえるし、地酒も旨い。宿の人とも仲良くなる。特に新潟は食べ物も酒も上々であり、馴染みの店で、窓の外の雪を眺めながら呑む酒の味は格別だった。僕の日本酒再認識が始まったのはこの頃だ。そして東京滞在中は毎晩のように各種劇場を巡り歩いた。名画座や小劇団の芝居等、そこには未知の娯楽空間が広がっていた。いつの間にか僕は「会社の楽しみ方」を覚えてしまっていた。社内的人間関係は最悪に近い状態だったが、僕はこの「半旅暮らし」が大いに気に入り、その後もA社にヌケヌケと所属し続けた(付記…念の為に記しておくがこれは前述の「理由」ではない)。それは現実逃避の変形に過ぎなかったのかも知れないが、僕にとっては夢のような時間であった事は間違いない。瞬く間に5年の歳月が消し飛んでいた。

(宮村直佳)

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平成18年5月28日

ボクサーのいる職場

約7年間勤めた会社を辞めて、僕は関東方面へ引っ越した。会社と故郷を去ってから2ヶ月が経過。毎日遊び歩いているのにも厭きたのでそろそろ働こうと思った。生活費ぐらいは稼がなくてはならない。駅に陳列されている無料の就職情報誌を一部もらってきて、テキトーに選んだのが現在の職場である。

ある大病院の中。手術用具の洗浄が主な業務である。手術をして病気や怪我を治すという行為は人間独特のものだと思うが、一口に手術用具と言ってもその種類や形態は千差万別、多種多様。最初は道具の名称すらわからずに往生したものである。手術に使われたばかりの器械が僕達が働いている上の階から、エレベーターを介して降ろされる。僕はエレベーターの扉を開き、台車に載せられた手術用具を引き出す。分別用の篭に収められた道具を更に細かく分別して洗浄するのが僕の仕事である。

道具の汚れ具合は手術の種類によって異なるが、血塗れ状態の場合も少なくない。血液が苦手な性質の人には向かない仕事である。現に卒倒したアルバイトもいたとかいないとか。血液だけではなく、時に肉片や髪の毛、その他、僕にはわからない正体不明の物体がくっついている事もある。虚構ではない現実の血液。僕も最初は気持ちが悪かったが、暫く続けている内に慣れてしまった。人間というのは大抵の事には適応してしまうものらしい。尤も苦痛や屈辱と言った絶対に受け入れられないものもあるが。

この職場で僕は現役のボクサーに出会った。彼の名は…本名を書いてしまっても構わないと思うのだが、今回は仮に「Y」と読んでおこう。僕より幾分背は低いがガッチリとした厚味のある肉体を持つ若者である。面構えも中々いい。精悍な顔立ちをしている。ボクサーよりも役者に向いているんじゃないか? と思うくらいである。話も面白いし、話題の幅もかなり広い。映画に関する僕の与太話にもよくつき合ってくれる。会話の内容に嫌味のない知性を感じる。僕なんかより余程学校の成績も良かったと思わせる。偏見や先入観の塊のような僕が抱く「ボクサー」のイメージとはかけ離れた性格であった。何故こんな繊細な神経の持主がボクシングなどという―誤解を承知で言うが―野蛮なスポーツに心身を捧げているのかよくわからなかった。いや、今もわかっていないのかも知れない。軟弱者(オタク)には理解困難な未知の領域である。

休憩時間や帰りの電車等でYと喋っている途中、ふと前の職場の同僚先輩を想い出したりもする。自分の事を棚に上げて言ってしまうと、やたらに自意識の強い人間が多かった気がする(全員ではない)。気位は高いが実は頭の中身は空っぽというタイプである。こういう連中が集合した時にその場に発生するアクの強さは大変なものである。相当図太い僕ですら吐き気を覚えたほどだ。如何に俺は偉いのか。如何に俺は凄いのか。実際は本人が考えているほど「偉く」も「凄く」もないのだが《彼ら》にとってそれを他人に誇示する事は人生の至上目的であるらしい。このような薄汚い連中と毎日同じ場所にいると、こちらの頭までおかしくなってしまう。7年目の撤退は今でも正解だったと思っている。むしろ遅過ぎたくらいだ。快適な職場というのは仕事の種類云々よりも、どれだけ良い同僚上司に恵まれるかにかかっているような気がする。

今から7年前、Yは北の大地からはるばる東京へとやってきた。当初は大学に通う為だったが、卒業してからも彼は東京に住み続ける事になった。プロボクサーとしての暮らしが始まった訳である。Yは現在輪島ジムに所属している。初めは別のジムに所属していたのだが、駅のホームか何処かで輪島会長直々に口説かれ、引き抜かれたと聞いている。かつての勇者が若き才能に巡り合ったのだ。まるで剣豪小説を彷彿とさせるようなエピソード。奇しくもYと会長は同郷である。雑談の中に時折輪島会長の話も出てくるが、テレビ等で観る以上にユニークな人物のようである。因みに「名のあるボクサーは頭もいい」というのがYの持論である。

鉄拳だけでは食べられない。食い扶持を確保しながら、ボクシングに取り組む二重生活。仕事を終えてからジムに向かいトレーニングを重ねる。朝のランニングも欠かせない。鍛錬に鍛錬を積み上げ、厳しい食事制限に耐えながら、戦う為の肉体を作り上げる。試合日が迫れば酒も呑めなくなる。僕などには到底真似出来ぬストイックな世界。だが、彼らは栄光を夢見て日夜走り続けているのである。学校にも職場にも「行けない」のか「行かない」のか知らないが、過保護な餓鬼どもが溢れ返る現代日本にもサムライの生き残りがいたらしい。武士(もののふ)の血脈。そう言えば、Yは時代劇が大好きだそうである。僕などが喜ぶ異色時代劇ではなく、勧善懲悪の正統派時代劇がお気に入りである。脱線ついでに言うと、彼の敬愛する俳優はアル・パチーノ、トム・ハンクス、アーノルド・シュワルツェネッガー、そして高倉健。あれ? 健さんが好きなのは彼のお父さんの方だったかな?

Yは現時点で3試合を経験している。2敗1引き分け。勝ちはまだない。試合は後楽園ホールで催される。よく「ボクシングの聖地」と紹介される名物ホールである。場内は独特の雰囲気に包まれている。芝居演劇とはまた違う荒々しさ、猛々しさを濃厚に感じる。客席を埋める応援者達も試合が熱くなるに連れて、次第に殺気立ってくるのが面白い。瞬間、剣闘士の時代に思いを馳せたりする。やはり人間という生物は闘争という恋人から逃れる事は出来ないのかも知れない。戦いを好み、戦いに興奮する。自分の友人知人が出場しているなら尚更だ。極限まで肉体を鍛え上げた男(戦士)達がぶつかり合う紛れもない「戦い」が眼前で繰り広げられるのだ。Yの試合が始まると、僕も平静ではいられなくなる。血が沸騰する。自覚もないままに大きな声援を飛ばし、文字通り手に汗を握っている。他の同僚先輩も同様である。ボクサー達がリング状で展開する一進一退の攻防がスイッチとなり、僕達の中に眠っている荒ぶる魂を呼び覚ますのだ。選手(戦う者)と観客(応援する者)が一体となって、現代の闘技場を満たす熱狂濃度は最高潮を迎える。

試合の間は時間の流れまでもが外界と違ってしまったように感じる。贔屓の選手が有利な際(判定で勝てそうな時)の時流は異常に遅く感じるし、不利な際(判定で負けそうな時)は館内に用意されたデジタル表示板の進行が異様に速く感じるのである。これまでに味わった事のない新鮮な感覚。Yと会わなければ僕は後楽園ホールに足を運ぶ事もなかっただろうし、ましてやボクシングをナマで観ようなどとは考えもしなかっただろう。僕を新しい世界へと誘ってくれたYには感謝している。人との出会いは人生をも変える。少なくとも思考や行動に変化が生じる。出来れば良い方向に転じる出会いを望みたいところである。例えばYとの出会いのように。向こうがどう考えているのかはわからないが、僕にとっては幸運な出会いであった。だが、いつも幸福な邂逅ばかりとは限らないのが「人生」という魔物の特徴でもあるらしい。

(宮村直佳)

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平成18年3月8日

メイド喫茶、韓国に進出

弊誌に「メイド喫茶とその時代」を連載してゐるしみじい先生が、3月3日にブログ「あきば萌え萌え日記」の第112回「韓国最初のメイド喫茶『amu amu 』」で、韓国明洞にメイド喫茶が開店されるといふ情報を紹介してゐた。その「amu amu 」の開店の模様を読売テレビが取材し、今日の夕方6時台のニュースで流してゐた。オーナーは大阪の人で、日本名であつたが、しみじいのブログによると在日韓国人らしい。オタク文化をしつかり弁へてゐる人物に見えた。すべて韓国人のメイドさんたちも、萌え顔をきちんと揃へてゐた。メイドさんは韓国のコスプレ大会に足を運んでスカウトしたといふことだつた。オタク文化をすでに心得てゐる女の子たちだし、これはいい手だ。それ以外に、日本のメイド喫茶に憧れを抱いてゐたといふ日本アニメオタクの女の子が、自ら売り込みに来て採用されてゐた。

基本的なサービスは日本と同じであつたが、興味深かつたのは、一人の女の子が「いらつしやいませ、ご主人様」のチュインニム(発音はこれで良かつたかな)を言ふことに抵抗があると訴へてゐたことだ。オーナーはこれを外したらメイド喫茶のコンセプトそのものが崩壊するとして、彼女にもご主人様と言つてもらつてゐたが、ここには韓国社会の面白い問題があるやうに思ふ。

韓国人は階層意識が強く、上下関係を非常に気にする社会である。これは小倉紀蔵先生の受け売りだが、韓国社会では人間がニム(様)とノム(奴)に分類され、この両極を激しく上下するところに韓国社会のダイナミズムがあるといふ。ご主人様にかしづく召使ひといふノムの身分に自らを置くことは、M気のある変態を除いて、普通の韓国人にとつては抵抗感があるはずだ。それはわざわざ賤業に身をやつすことであるからだ。韓国は男女平等意識が社会的に高まつてきてゐる時代でもあり、日本では問題がないメイド喫茶が全然違つた文脈に置かれることになることも考へられる。また、韓国では水商売は賤業と考へられてゐるから、もしメイド喫茶が水商売と見做され、メイドさんが水商売の女と見られることになれば、そこにも問題が発生するだらう。さうしたことは、韓国でも「性の商品化」といふ切り口で問題にされてゐるやうだ。しみじいが日本から来たメイド喫茶の話題を取り上げた韓国の新聞記事を翻訳してゐる。記事タイトルは「メイドカフェ 4日 韓国上陸 美少女文化への期待と性の商品化へ憂慮」といふもので、それを見ると、

だが、反日感情の残る韓国では、日本特有の文化は根付きにくく、性を商品化する事への批判意見も根強い。『ワイルドフォレスト』というネットの住人は、「面白いからと言って、女性を見せ物として扱う事は避けないと」と言った。

とある。そのやうな批判に対するオーナーの弁として、

一部で話題となっている、性の商品化という指摘に対しては、「普通の喫茶店と全く同じ。単にウェイトレスが、メイド服を着て、少し親切なだけだ。喫茶料金も他の普通の喫茶店と同じ」と説明。

とある。そして記事は、

日本特有の文化が生んだメイドカフェが韓国でも成功できるか、注目される。

と結んでゐる。日本でもフェミニズム的な観点からメイド喫茶を批判する声もあるが、日本の場合は、男女平等の理念を通過した上に、オタク文化の世界に演劇の一種としてメイド喫茶が登場したわけで、むしろ男女平等の建前を相対化するところにその面白さがあると言へる。それが現在の日本社会の水準だ。しかし、韓国の場合、オタク世界の住人である韓国のメイドさんたちがリスクを背負ふことになるのではないかといふ危惧がなくはない。心配されるのは、メイドさんが社会的に蔑視されるのではないかといふことと、遊びであることを忘れてノムに対するニムとして振る舞ふ客が出てくるのではないかといふことの二点だ。特に後者については、韓国人が日本のオタク文化を移入してもオタクのクローズドな共同体内のことであるかぎり問題はないが、客がゐるといふ外部に開かれた局面では事情が変つてくるのではないかと気にかかる。日本ではメイド喫茶とはどういふものであるかが、ほとんどの客の間で暗黙の了解として成立してゐて、メイド喫茶空間の秩序が形成されてゐるが、韓国ではどうだらうか。

ニュースでは、開店初日の盛況の様子が伝へられてゐた。女性客が多かつたのは、どういふ関心からなのだらうか。韓国がメイド喫茶(的なるもの)を受け容れるとすれば、それは韓国社会がほとんど日本社会と変らないものになつてゐるといふことなのか、それとも韓国なりのまた違つた文化としてそれは展開していくのか、非常に興味があるところだ。しみじいによれば、明洞はオタクの街ではなく、このメイド喫茶も日本人観光客向けかもしれないさうだから、これはそもそも韓国にオタク文化を輸出するといふ話ではないのかもしれないが。韓国メイド喫茶事情については、いづれしみじい先生が渡韓した際に取材してくれると思ふので、レポートを待ちたい。

(高坂 相)

※しみじい先生のレポート

■明洞「maidcafe&kitchen amuamu」

■オマケ・明洞「ミンドゥレヨント(タンポポ領土)」

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平成18年2月17日

『女王の教室』の一つの見方

昨年のいつ頃だったか、日本テレビ系列で『女王の教室』という小学校を舞台としたドラマが放映されていた。私が見たのは最終回の4話前からくらいで、「面白いドラマがあるよ」と人に進められたのがきっかけだった。

『女王の教室』は小学校6年生の子供達が自分達を突き放す女教師との対立を通じて成長していく、という物語であったが、なかなかに奥が深く、俳優陣の演技もよく、普段はほとんどテレビを見ない・年間に見るドラマはせいぜい1本の私も、毎週欠かさず楽しんで見ることができた。実際、視聴率もよかったようだから、やはりよく出来たドラマだったのだろう。

ただ、最終回まで見終わって、ひとつだけ気になったことがあった。それは、このドラマでは「子供に大人の論理を押し付けてはいけない」という教育論と主人公?の女教師が体現する「教育とは子供に困難に立ち向かう強さ、社会で生きていく強さを身に付けさせることである」という教育論との相克が一つのテーマとして提示されていたのだが、最終回(かその一回前くらい)に女教師の「無私」が描かれ、そのため、後者の教育論の優越が視聴者に印象づけられるような形で物語が終わっている点である。主張の正しい正しくないに関わらず、「無私」は人の心を打つもので、だからこそ、教育論の対立がテーマの一つであるのなら、その一方にだけ「無私」をもちこむのはフェアじゃない。「子供に大人の論理を押し付けてはいけない」という教育論の行き過ぎが子供の精神的成長を妨げるのと同様、「教育とは子供に困難に立ち向かう強さ、社会で生きていく強さを身に付けさせることである」という教育論の行き過ぎにも「子供の側の視点を無視した大人の論理のおしつけ」「子供の早熟化」という悪い面があるのであれば、もしドラマの製作者側に教育論の対立というテーマをこそ大切にする気持ちがあったなら、主人公のキャラクターによって一方の優越を印象づけるべきではなかっただろう(もっとも、ドラマをきれいに終わらせるためには女教師の「無私」を描くしかなかったのかもしれない)。

ところで、昨今は、前者の教育論の弊害よりは、むしろ、前者の教育論への反省からくる後者の教育論への傾倒の歪の方が目だって現れはじめているように私には思える。それはマネー教育がもてはやされていることに端的に現れているのだが、社会で生きていくためにはお金の知識は必要であるからといって、小学生に株をやらせるようなことがはたして本当に必要なのだろうか。もちろん、ドラマの女教師は自分の生徒に株をやらせるようなことはしないだろうが、その体現する主義から無私をとって突き詰めれば、結局はそういうことになるのである。だから、このドラマの女教師の教育論を大人が無批判に賞賛するのは危険なことだと私は思う。

やれファシズムがどうだ、とか、日本人の本質的欠陥とかそういった高尚で浮世離れした危険の話ではない。大人の視点で理想化された子供の型に現実の子供が押し詰められるという、今そこかしこで起こっていることの危険なのである。だから、大人、特に子供と関わりがある大人がこのドラマをみる場合には、二つの教育論の対立に関しては注意深く批判を意識して見る必要がある、と私は思う。それだけよく出来たドラマ、ということもいえるが、よく出来たドラマならなおさら、ということもいえ、多分、DVDか何かが出ていると思うので、興味を持った方は、上に書いたようなことを参考にして見ていただければ幸いです。

(尾崎)

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平成18年2月13日

某都立校について

先日、新聞等で都立高の出願倍率が発表された。普通科の倍率は軒並みあがっているようだったが、ある高校の倍率の伸びが目立っていた。実は、私は去年からその高校のことが少し気になっていた。というのも、その高校は偏差値でいうと48かそれくらいの、いわば平均やや下と目されているところなのだが、以前教えたことのある学力のある子がわざわざ他を蹴ってそこを選んだからである。当初、私には彼が何故その高校を選んだのか謎であったが、あとから伝え聞いたところによれば、都立高の中でも校則がしっかりしていること、特進クラスが設けられていること、の2点が理由だったそうだ。要するに、彼は偏差値ではなく環境を選んだというわけだ。その判断が正しかったのかどうかは後になってみなければわからないが、個人的には英断だと思う。

しかしながら、不安がないわけではない。先日、その子と話す機会があって、学校で行われている授業内容を聞いたり、小テストの実物などを見せてもらったりしてその高校の具体的なカリキュラムの一端を覗う機会があったが、その内容は、学力をあげようという学校側の意気込みの強さが感じられるものではあれど、どこかから回りしている風であったからだ。たとえば、その高校では、大学受験入試向けのスペルと発音記号と意味だけが書いてある無味乾燥な単語帳を頭から覚えさせて定期的にテストを行うのだが、経験からいえば、英単語は文に組み込まれた形で覚えるのが記憶定着という点でも英作文ないし長文読解という点でも最も効率的で、単語帳を頭から覚えさせるようなやり方は非効率であるばかりか、生徒に対する負担が大きい点でもよろしくない。そんな暇があるのなら、長文読解をバリバリやらせたほうがはるかに効率がよいし、仮に単語帳を用いるにしても、それは一つの例文からいくつかの単語や熟語を覚えるようなたぐいのものにすべきだろう。そういった詰め込みに熱心になるあまりの空回りが他の教科でもしばしば見受けられ、この点、悪い風に作用しないか、心配ではある。

ともあれ、彼の通っている高校の出願倍率は上がった。実は、保護者が都立高校を選ぶ際に特に不安視しているのは規律の問題であり、この点は実は保護者が公立を敬遠する主理由の一つでもあるから、そういった意味で、厳しい校則で差別化を計るこの都立高校の方針は間違っていない。あとは教員のレベルの問題であるが、こればかりは外からは如何ともしがたいところで、彼がよい教師にあたるのを願うばかりである。

(尾崎)

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