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論泉 RONSEN

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平成18年4月11日

中村吉広『チベット語になった『坊っちゃん』〜中国・青海省 草原に播かれた日本語の種』

チベット語になった『坊っちゃん』

山と溪谷社、平成17年12月15日、定價1600圓(税別)

これは現代のチベットについて書かれた本である(※注1)。チベットのチャプチャにある教員養成機關、青海民族師範專科學校にチベット語を學ぶために留學した著者が、やがて日本語教師としてチベットの若者たちに日本語を教へることになる。本書はその時の記録である。著者の經歴を見ると、自由な生き方をしてきた人のやうだ。昭和三十三年福島縣生まれ、東洋大學哲學科に學び、在學中にイスラエルのキブツでの生活を體驗してゐる。その後も海外放浪を續け、日本で塾の先生などを經て、日本語教師になる。チベットに留學したのが1998年、その留學先の學校で日本語を教へることになるのは2001年のことである。

著者は政治的にチベット獨立運動にコミットしようとしてゐるわけではないが、眼前でチベットの民族文化が衰亡しつつある樣を見て、チベット語を守ることに少しでも寄與したいと考へる。言葉さへ殘すことができれば、民族の將來に希望がつなげるからだ。著者によれば、チベット語は古典語がそのまま現代に生きてをり、日本語が平安時代に停止してゐるやうなものだといふ。したがつて、それをそのまま殘すだけでは現代的要請に應へることはできないので、チベット語を保存するだけではなく、チベット語の近代化といふことも同時に考へなくてはならない。そのために著者が目を付けたのが飜譯事業である。それも、日本語文獻の飜譯である。

チベット語は孤立語に分類されてゐるが、膠着語的性格を持つてをり(※注2)、チベット人が日本語を學ぶのは容易であるといふ。特に「てにをは」の使ひ方はぴたりと重なるといふ。著者によれば、日本語を學ぶことは日本語文法と對照させてチベット語文法を學ぶ機會にもなる。チベットでは北京語を通じて現代文明を吸收してゐるが、中國政府の見解ではチベット語は古臭い言語であり、やがて滅び去るものと見做されてゐる。支配者と被支配者の關係において、チベット人自身がこのやうな支配者の價値觀を内面化することにもなるし、現實に北京語を通して近代化することはチベット語を放棄していく過程でもある。チベット人が日本語を學ぶ場合にも、これまでは北京語版の教科書『標準日本語』をテキストにしてゐた。これは日本人が韓國語を學ぶのにフランス語の教科書を使つてゐるやうなものであるといふ。チベット人が日本語を學ぶ場合に、北京語といふ迂囘路を通る必要はなく、直接日本語を學べばよいのである。

多くのチベットの若者たちが、近代化に成功した先進國であり、文法的に共通性を持つた日本語を學べば、大量に日本語文獻を飜譯することを通じてチベットの近代化に資するとともに、日本語と對照させてチベット語の文法を學ぶ機會にもなり、チベット語を現代に通用する言語として新たに形成する過程にもなり得る。日本語を支へとしてチベット語を強化することは、支配者の言語を相對化し、そこから自由になる道でもあらう。日本語學習と日本語飜譯は、いはばチベットの國學運動に發展し得るものである。著者はそこまで書いてゐないが、構想はさういふことであらう。

日本語授業の鍵となる、表音文字、「てにをは」、辞書という三つの共通項が浮かび上がった時から、最終的な準備が急速に整って行った。チベット文字の一覧表は日本語の「アイウエオ」と同じくインドの文字一覧表を踏襲している事を確認した時に、自分の計画の有効性に確信が持てたのだが、更にこの文字列に従って辞書が編纂されているので、チベット人達が日本語の辞書を使えるようになるのに時間は掛からない事も容易に想像出来た。そして、日本語の「てにをは」の対応を習得する為には、チベット人は自分達の文法学を完全に習得していなければならない事に思い至って、私の授業の最終目的は日本語で書かれた本の翻訳に定まったのである。

彼等の祖先が一〇〇〇年以上も前に、まったく異なる種類のインドの言葉を翻訳して独自の文化を築き上げたように、今度は多くの共通性の有る日本語を翻訳して新しい知識を吸収し、学ぶべき課題が有るのならば、日本に留学して存分に研究してその成果をチベット語に写し取って戻って来れば良い。嘗て、インド文明の全てを翻訳して仏教を中心に芸術も医学も天文学さえも学び取ったチベット語が、今度は世界一の翻訳文化を持っている日本語から、世界中の知識を吸収する時代が始まるかも知れない。そう思った時から、私の生活は急に忙しくなった。

(162〜163頁)

飜譯作業は日本語中心(センター)といふ機關を作り、日本語ができる教師たちと日本語を學ぶ生徒たちによる一種のボランティアグループによつて始められた。飜譯する文獻は、學校の圖書館に死藏されてゐたものを中心に、佛教關係のものと日本の近代化に關するもの、それにチベット人に親しみやすいと思はれる文學作品から選ばれた。まづ教師たちが飜譯したのは、芥川龍之介『蜘蛛の絲』、狂言『附子』、柳田國男『國語成長の樂しみ』、山口瑞鳳『「三十頌」「性入法」の成立時期をめぐって』である。そして標題にもある夏目漱石の『坊つちやん』は、最初は教師たちが飜譯に着手し、途中から生徒の中から優秀者を選拔して飜譯作業を進めた。『坊つちやん』をテキストに選んだのは、近代化の嵐の中の人間を描いてゐること、學校を舞臺にしてゐること、人間が良く描けてゐる名作であることによる。實際に『坊つちやん』はチベット人にとつても親しめる作品であり、生徒たちは飜譯に夢中になる。『坊つちやん』飜譯の場面は本書の白眉である。

附け加へておけば、著者のチベットでの活動は必ずしも順調だつたわけではない。漢人や共産黨の監視もある。チベット人の利己的な立身出世主義や無氣力もある。共産黨の密告獎勵の分斷統治の結果、チベット人は連帶感が乏しく共同作業が難しいといふこともある。また、著者自身が日本語とチベット語の文法比較の研究をし、日本語教師として正規の授業も受け持ちながら、ボランティアで飜譯作業に取り組んでゐることから、時間的・體力的な限界もあつた。さうした状況の中で情熱的に教へる著者とそれに應へて學ぶチベットの若者たちの姿は感動的である。しかし、彼らに民族としての未來があるかどうかはわからないといふのが現實である。

本書はチベット民族の置かれてゐる現状の中でチベット語について實踐的に考へた軌跡を辿つたものであるが、日本語の置かれてゐる状況についても考へさせられる本でもある。著者の日本語についての考へ方も興味深い。たとへば外國人の學習者にとつて日本語を理解するのに最も必要になるのは助詞や助動詞を區別することであり、漢字を制限してやたらと平假名だらけの文章にすることは助詞や助動詞を區別することを妨げ、外國人には讀みにくいので、なるべく漢字を使ふやうにしてルビを振ればいいと提言してゐる。この指摘は日本人自身の國語習得についても當て嵌まることだらう。また、語學學習における會話重視の風潮にたいして文法重視の重要性を説き、少數民族の言語や方言の大切さを説いてゐる。日本語を貧しくしてきた國語政策や日本語の現状、すなはち現代日本人の日本語にたいする態度への見方も嚴しい。

無知な若者は「通じれば良いではないか」と放言するものだが、こうした文法軽視の態度を放置すると、複雑な議論や文章を受け付けない頭脳が完成してしまう。そして、古典どころか現代文も敬遠する文化的国籍不明者が増殖する事になる。日本では、学力低下を心配する声がマスコミに溢れているが、本当に低下しているのは日本語を使いこなす能力なのである。

(122頁)

言語についての考察を中心に書評してきたが、チベットの人々との交流が非常に面白く描かれてをり、それらのエピソードも樂しい。言葉に關心を持つてゐる人には必讀の一册である。

(高坂 相)

※注1

▼チベットとはチベット高原を中心にした地名でもあり、民族の名稱でもある。民族の起原は傳説の彼方にあるが、七世紀には統一國家を樹てたやうだ。その後はモンゴルや支那、イギリスなどと外交關係を持ちながら生き延びてきた。現在、チベット民族は中國・ブータン・インド・ネパールの四ヶ國にまたがつて居住し、そのうちブータンのみはチベット民族による獨立國であるが、チベットの大部分は中國が實效支配してゐる。中國は1950年にチベットを侵略し(中國共産黨によれば「解放」)、翌51年に實質的に併合した。現在、チベット高原の一部に西藏自治區を設けてチベット民族の自治區とし、あとはチベット人から奪ひ取つて中國の本土に省として組み入れてゐる。獨立を求めるチベット人たちやチベット佛教の僧侶たちは何度も激しい彈壓をうけてきた。59年にチベット蜂起が發生し、中國はそれにたいして大虐殺を行なつた。この時、ダライ・ラマとともに八萬人の難民がインドに亡命し、ラサにチベット亡命政府を樹立した。チベット亡命政府は今も中國に意義を申し立てて獨立運動を行なつてゐるが、中國はチベット人への彈壓・虐殺を繰り返し、チベットに漢民族を大量に入植させ、同化政策と相俟つて、チベットの状況は民族淨化の樣相を呈してゐる。

※注2

著者は本書でチベット語は膠着語であると明言してゐるが、シナ・チベット語族として孤立語に分類されてゐることが多いことから、愼重を期して「チベット語は孤立語に分類されてゐるが、膠着語的性格を持つてをり」といふ書き方をした。これにたいして、中村氏からブログ『旅限無』において次のやうなご指摘を頂いたので、附記する(平成18年4月17日)。

一点確認させて頂きますと、チベット語が「孤立語に分類され」るとの御指摘は、「シナ・チベット語族」という、既に破綻している乱暴な19世紀の分類法を前提としたものと拝察いたしました。拙著に記しました通り、チベット語は立派な膠着語に間違いありません。小さな事ですが、念の為に確認させて頂きました。

その後、この件について再び中村氏にご教示を頂いたので、附記する(平成18年4月23日)。

少しばかり「シナ・チベット語族」の言い出しっぺを詮索したことが有りましたが、どうやら18世紀末の英国人のようです。インドと北京あたりで言語研究をした経験から、両者に挟まれたチベット語をシナ語系に含めて分類しただけのことで、詳細な比較研究をしたわけではなく、御本人もこんなに大きな権威を与えられるとは思いもしなかったのではないでしょうか? 「チベット・ビルマ語族」の方が、言語研究には理に適っていると思われます。まあシナ語自体が広大な面積と複雑で長大な歴史的変遷の中に溶け込んでいるので、孤立語とはとても思えない「方言」も有るようですから、「語族」にこだわるのは徒労かも知れませんね。

■中村吉広氏のブログ『旅限無

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