ブルースマンの幻想

陳五郎


前号に載せて頂いた拙文「日本人ストリートブルースマンの私的ブルース論」の原稿を受け取るや、高坂氏はこう言った。

「次回の特集は幻想芸術。よろしくね。」

「ホイホイ何でも引き受けましょう。」

が陳五郎流、

「幻想芸術と言えばベルリオーズの幻想交響曲。バロック音楽、古典派からロマン派を経てベルリオーズに至るまでの音楽史と、幻想交響曲の幻想芸術たる所以について書きましょう。実は幻想交響曲は交響曲じゃないんですよ。形式は交響曲であっても正体はベルリオーズの描く一大幻想物語。要するに彼は劇を作曲したんです。即ち、幻想交響曲とは従来の観劇するオペラでなく目を閉じて見るオペラなんです。」

「テクニック的には、ジャズでいうナインスコードやサーティーンスコードを使っていることが特徴で勿論歴史上初めてです。彼こそがハーモニックスを宇宙にまで広げた人物なんです。」

まくしたてる私を笑顔で見つめる高坂氏。優しいまなざしがこう語っていた。「大丈夫ですか?」

うーむ、ちょっと的がはずれたかな?けれど陳五郎は二の矢を用意しているのである。

「それとも、ジョンコルトレーンなんかはどうかな。至上の愛。これは訳がわからん。十代の頃から三十年以上聞きつづけているけどさっぱり解らん。解らんところが実に幻想的で面白い。フリージャズ誕生の時代について書きましょう。」

と、横からすかさず的確なアドバイスがとぶ。

「そういうのは、きっと前衛芸術の範疇でしょう。」

ここでやっと気がついた。そう言われてみれば俺は幻想芸術のことなんかちっとも知らんゾ。やがて大変なことを引き受けたと後悔するのである。

それからしばらく幻想芸術について調べることになるのだが、どうも音楽の分野では幻想芸術を標榜する作品が見当たらない。幻想芸術というのは、文学と美術の世界でのみ分類されるジャンルなのかなあ。それでも無理矢理文学史美術史と重ね合わせてみると、やはりロマン派からベルリオーズあたりがオーバーラップしてくるのかなと思う。幻想芸術を、非現実的非日常的な空想世界を表現した芸術と定義するならベルリオーズの幻想交響曲は立派な幻想芸術といえるのであるが、私自身が充分に消化吸収できていない状態で文章にして、のちに大きな後悔を残すのは厭なので今回はテーマを離れて書かせていただくことにした。

ただひとつだけ素人が感じたことを述べさせていただくと、文学と美術とでは幻想芸術の解釈に微妙な違いがあるようだ。ダダイズムを核とする美術の世界ではシュールレアリズムの影響を容認しているのに対し、文学ではこれとの乖離を強く意識しているような印象をもった。くどいようだがドシロウトがざっと眺めただけの感想なので、軽く聞き流してくださいね。

最近サングラスをはずし、ひげを剃るという変装をほどこして路上ライブに出ている。それでも目ざといブルース野郎に見つかり「意外な人が意外なジャンルを」などと冷やかされている。実はこのような羽目に陥るきっかけを作ったのは、前号「日本人ストリートブルースマンの私的ブルース論」のなかでブリティッシュトラッドについて触れたからに他ならない。書いているときは頭の中でバラッドとブルースを比較していただけであったが、バラッドがブルースのルーツになりえないという無責任な自説を自身で証明しようと実践(実戦)にでているのである。フィドル(バイオリン)とギターのデュオという編成上の都合とストリートという環境的問題から、乗りのよいダンス曲であるケルト音楽、特にアイリッシュを中心に演っている。今度箱の中で演る時は、バラッドのようなしっとり系もプログラムに組み入れたいと思っている。今はDADGADの半音下げというアイリッシュチューニングと格闘中で、ライブハウスデビューはもう少しストリートで腕を磨いてからという事になりそうだが…。

で、結論から述べるとやはりブルースの発生にバラッドが関与したという俗説には、私としてはますます否定的見解を持つようになった。ケルトや北欧のトラディショナルソングの本質、つまり構造上の根幹は口移し音楽であって、Aの奏でたメロディーをBが、Bの次をCがという風に口移し的に引き継いでゆくのが特徴である。この点コールアンドレスポンス(呼びかけと応答)を基本とするブルースとは根本的に異質のものなのだ。口移し音楽は二千年以上もの時を口から口へ、楽器から楽器へとほとんど姿を変えずに伝承されつづけている。楽譜や文字に記録されるようになったのはここ数十年のことらしい。対してブルースは人まねを嫌う。同じ曲が奏者をかえて同じアレンジで演奏されることは決してない。前号で紹介した十字路ブルースにしても、ロバートジョンソンの処女作と同じ歌詞、同じチューニング、同じリズム、同じテンポでは誰も演っていない。変らないのは十二小節ブルース進行という基本ルールだけである。ブルースの誕生後にブルースマンがなかば余興的にトラッドを演奏することはあっても、その発生にトラッドがかかわる可能性は全くないと今では確信できるようになった。

ところで驚いたことに、今ではアイリッシュギタリストにとってスタンダードチューニングとなっているDADGADチューニングであるが、その原型はブルースギターからひねり出されたものらしい。これは、最近ひとから借りたアイリッシュギターの教則ビデオの解説書に記されてたのだが、フィンガースタイルアイリッシュギターの歴史というのは比較的浅くて、アメリカやイギリスのフォークリバイバルに端を発したものであると書いてある。当時の若手イギリスギタリスト達が最初に注目したのが伝説のブルースマン、ビッグビルブルーンジーであった。彼の右手親指から弾き出されるドライブ感抜群のベースラインをマーディンカーシーやニックジョーンズ(二人とも私は知らない)が移植して絶賛を受けたらしい。そんな五十年代終盤、スコットランド出身のディヴィ・グレハムというケルティックフィンガースタイルギターの創始者と呼ばれている人が編み出したのが、前述のDADGADチューニングなんだそうである。最初はモノトニックなサウンドであったDADGADも、彼らに続く若き達人達が工夫を重ね、現在の変化に富んだベースラインと何とも魅力に富んだ和音を奏でるスタイルに変化させたのである。ブルースがトラッドの影響を受けたどころか、ギターに関しては逆にブルースがトラッドを侵食したなんて、私も少しばかりびっくりさせられた。

さて、前回ブルースの誕生と歴史について書かせていただきながら、次はバラッドのことを語るのもいいかな、文学的にも音楽的にも長い英国史の中で面白い顛末と遭遇できるかもしれないなと思っていた。ただ、いざ文章にしようとするとケルト人の風俗歴史や、ヴァイキング支配の時代、ローマ人の侵略等調べるだけでも一生涯かかりそうである。今回はペンタングルというグループのクルエルシスターというアルバムライナーノーツから黒田史朗さん対訳の同名タイトル歌詞を紹介する。

クルエル・シスター

北海の海辺に一人の女が住んでいた

(雑草で箒を作っていた)

彼女には二人の幼い娘がいた

(ファラララララララ)

妹は太陽のように明るく育ち

姉は墨のように暗い娘になった

一人の騎士が二人の家を訪れた

遠くからきて二人に言い寄った

彼は一人を手袋と指輪で口説いたが

心から愛したのは今一人の方だった

お姉さん 海を行く船を見に

私と一緒に行きましょう

彼女は姉の手を取ると

北海を見下せる岸辺へ連れて行った

風が吹く岸に立ったとき

黒い娘は妹を突き落とした

波間に漂いながら

妹は姉に助けを求めた

姉さん 姉さん 私を助けて

何でも貴女にあげるから

私が欲しいのは貴女の恋人

けれど貴女を助けない

妹は白鳥のように海に浮き

潮が死体を流していった

浜辺を歩いていた二人の吟遊詩人が

岸へと漂う娘を発見した

二人は彼女の胸の骨で堅琴を作り

その音色は石のような心をも溶かした

二人は彼女の金髪を三房とって

二つとない堅琴の弦に使った

二人は彼女の父の広間に行くと

皆の前で堅琴を奏でた

ところが二人が堅琴を石の上に置くと

堅琴はひとりでに鳴り出した

一本目の弦は悲しげに唸った

この花嫁は妹を溺死させたと

二本目の弦を二人が奏でると

黒髪の花嫁は恐怖で震え坐り込んでしまった

三本目の弦が鳴り出すと

彼女の瞳から涙が溢れた

歌詞は一番から十九番まで各二行づつで、一番の訳詞を見ていただけば解るように各行の前後に合いの手が必ず入る。これは踊り手やリーダー以外の奏者がはやし言葉として合唱したものである。内容はキリスト教的立場から見れば、非常に邪教的に映る。多分キリスト教や、イギリス国教から様々な弾圧を受けながらその原型をほとんど崩さず口伝されつづけてきたのであろう。前号で平家物語を引き合いに出したが、私が驚くのは、現在日本の琵琶法師は様々な保護を受けながら細々と平家物語を伝承しているのに対し、イギリスでは子供達があたりまえのようにクルエルシスターを口ずさんでいることである。

皆さんには、ぜひ実際に聞いていただきたい。ペンタングルのクルエルシスターは、歴史的名盤と思っている。このアルバムは全曲トラディショナルソングで構成されているので、どっぷりとブリティッシュバラッドの世界を堪能させてくれる。CD代金以上のものを得ることは陳五郎が保証します。

『奇魂』第四號掲載

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