陳五郎
昨年はなぜか小学校、養護学校、あるいはすこし特殊な学校へ招かれてブルースを演る機会が多かった。脳の血管がまだ硬化していない子供たちは、シャッフルのリズムにとてもスムーズに反応してくれる。ライブハウスやストリートでは味わえない、透明度の高い息づかいが新鮮だった。
そんな会場では、必ず演奏の合間か終演後に生徒との歓談の時間が設けられていて、これはつまり質問コーナーという類のものであるが、そこでの一番目の質問はエルモア・ジェイムスのイントロよりも確実にお決まりのものだ。
「ブルースって何ですか?」
ライブハウスの酔客相手やストリートのひやかし連中ならば適当なごまかしでご容赦願うが、純真な子供たちのしかも学校行事のなかでの疑問に答えるとなるといいかげんなことも言えない。かといって何小節の構成だの、キーがどうのテンポがどうのと解説してもなかなか理解してもらえないだろう。初めてこの質問を受けたとき、一瞬の絶句の後とっさに答えた「音楽の父がバッハなら、ブルースは音楽のぐうたら親父です」というフレーズを以後使わせていただいている。また、校長先生や教職員さんたちの取材に対してはこう答えている。
「ブルースとは、現在あるすべての大衆音楽の礎(いしずえ)です」
すべての大衆音楽とは言いすぎで、ほとんどすべてのと言い換えるべきであろう。しかしこのあたり、ささやかなストリートブルースマンの虚勢をご勘弁いただきたい。ともあれ自身にとってブルースの定義を再考するよい機会となった。
それがあたりまえの事なのか珍しいことなのかよく解らないが、かれこれ三十年近くブルース一本で演ってきた。早い話それしか出来なかったのだが・・・(実は、ブルースっぽいロックやフォークっぽいブルースをすれば有利な条件でできる仕事の話はいくつかあった)。そんななかで自分なりのブルース観が構築され、展開してゆくのは当然のことと思う。ただ、普段は演奏することのみになかば惰性的に没入してしまい、音でなく文字や言葉でブルースを表現するということがなかった。この機に自分なりのブルース論を整理してみたいと思う。
もちろん私は黒人ではないし、奴隷になった経験もない。しかもメンフィスやシカゴはもちろん、そもそもアメリカという地に一度も立ったことがない。長く「白人にブルースが歌えるか?」ということが議論されているが、そのようなことを問題にされる方々には僕のような者がブルースを語ること自体が許されないことであろう。それに対しあえて抗弁しようとは思わない。ただ、自分では自分の演っている音楽がブルースであると信じているだけだ。また、恥ずかしながらこれまでブルースに関する著作物などまったく読んだことがない。ほとんどの知識が耳学問なのである。しかし私はブルースマンだ。ブルースの本質を見誤ることは決してないつもりである。
そんな私には以前からひとつの疑問があった。ブルースの発生に関してである。広大な南北アメリカ大陸全土に数千万人とも言われるアフリカからの奴隷の移入がありながら、ミシシッピー川とヤズー川に挟まれたデルタ地帯と呼ばれる全人口五十万人足らずのこの地域にどうしてブルースが誕生したのか?他地域ではこの音楽の発生の必然性はなかったのか?いまひとつ釈然としない従来説をふり返りながら自説を述べたいと思う。まずはブルースの歴史から。
一六一九年、アメリカ大陸の正式発見から約一世紀の後、最初のアフリカ人がヴァージニアの海岸に上陸した。当初はイギリス人の使用人として働いていたが、一七世紀なかば頃から奴隷として扱われるようになる。さらに一七世紀末には、ついに奴隷制度が法律で認められるに至る。すでにアフリカ人奴隷は一五世紀末頃からポルトガル人によって、東インド等の植民地における労働力として、ネグリエリと呼ばれる奴隷商人により取引されていた。スペイン人やイギリス人、オランダ人たちもすぐこれにならって奴隷取引をはじめるようになる。このあたりの歴史、即ちこの時代の国際的、経済的背景について語るのも面白いのだが、本題からは少し離れるので機会を改めて述べたいと思う。ともかく四世紀にわたるアメリカ黒人の歴史は始まるのである。
このようにして強制的に異境の地に連れこられたアフリカ人奴隷たちは、主に南部農園における労働力として競売にかけられ、プランターと呼ばれる大土地所有者たちから人間以下、否、家畜以下のあつかいを受けた・・・。数々の映画や小説からこのような印象をお持ちの方は多いだろう。しかし実際のところはどうだったのだろう。南部白人およそ六百万人のうち奴隷所有者の総数はその数パーセントにしかすぎず、しかもプランター貴族といえる大プランターとなるとわずか八千人程度のものであった。奴隷を所有する南部白人の半数以上は、一〜四人の奴隷しか持たない零細奴隷所有者だったのである。
働きの悪い奴隷達を鞭で打ち、その傷口を塩水で洗うといったようなことが習慣的に行なわれていたように伝えられているが、そういったことは多分まれであったと思う。なぜなら奴隷は所有者たちにとっては大切な動産で、たとえば負債の返済や賭博の掛金に使われたりもしたのである。こんなとき鞭の痕や耳の削ぎ落とし、銃の傷、焼印などは奴隷の価格を大きく損ってしまう。すべての自由が束縛され、生産性を高めるため歌うことのみが許されたというのが通説となっているが、信仰や祈祷なども許されていたのではなかろうか。
私見の是非はともかく、こんな状況下で黒人音楽のルーツであるブルースのルーツ、労働歌(ワークソング)が歌われるようになるのである。
コールアンドレスポンス。呼びかけと応答。起源はアフリカの大地。部族の一人が歌うと他の仲間たちが合唱で返す。この生活習慣が黒人奴隷の労働作業に合致したリズムで再現されアメリカ黒人最初の音楽、ワークソングは誕生した。
そして南北戦争後の空虚な解放。
このとき、コールアンドレスポンスにひとつの変化が訪れる。それは過酷な労働作業を共有する奴隷仲間達へのcallから、個人個人の人間としてのやるせなさを叫ぶholler(ハラー)への転換である。
基本的にハラーあるいはフィールドハラーと呼ばれる歌は、ワークソングと異なりひとりの人間の想いのたけをしぼりだすものである。時には近くにいる気の向いた者が応答したりもするが、あくまでも個人プレーが原則なのだ。
また、hollerという言葉には、うめくとかうなるとかいう意味が含まれている。やがてそういう叫びを彼らはハーモニカやボトルネックギターで表現するようになる。琴(ハープ)とも呼ばれる繊細な音色のハーモニカでブォッという音を出したり、ギターの弦に瓶の口を滑らせてギュイーンと鳴らしたり。
こうして黒人達のひき語りが始まった。ブルースの誕生である。
以上がブルースの発生に関する私説である。途中南北戦争のあたりをはしょらせていただいたが、説明しだすときりがないのでご勘弁いただきたい。
ただ先に述べたようになぜアメリカなのかという疑問がまだ残る。カリブ海や南米の音楽とブルースとはあきらかに異なっている。アフリカ部族時代の慣習を同じ源とするならば、どうしてかくも異質のものになってしまったのだろう。一説ではイギリス領であるが故のバラッドとの融合が唱えられているが、私にはどうも納得できない。形式の一部が似ているだけで、キリスト教以前の吟遊詩人を起源とするバラッドとブルースとは本質的に異なったものにしか私の耳には聞こえないのだ。それはたとえば平家物語とフィールドハラーが融合すると論じるに等しく、私にはどうしてもそうとは思えないのである。
私はやはりブルースの特異性は、アメリカの奴隷政策の特異性にあると思う。一五世紀末から四世紀の間に数千万人ものアフリカ人が連れ去られたと言われている。ところがアメリカ合衆国に輸入された黒人奴隷の総数は一八〇八年の奴隷輸入の禁止までで僅か五十万人余りである。にもかかわらず一八六〇年には黒人奴隷の数は四百万人にまで増加しているのだ。
そう、アメリカでは前述したように奴隷を動産と認識していたのに対し、中南米では使い捨て労働力として扱われたのである。この相違がアメリカ独特の黒人奴隷社会を形成した要因であり、ハラーを生みブルースを生んだ原動力であるというのが私の仮説である。真意の程はわからない。精査する気も証明するつもりも全くない。無責任をお許しいただきたい。私はただ自分の歌う歌がブルースだと信じて、今日もどこかで歌うだけだ。
十字路に行って、ひざまづき
十字路に行って、ひざまづき
神の慈悲をお願いしたのさ、哀れなボブを救いたまえ
有名なクロスロードの一節である。ブルースの多くはこのような三行一組の歌詞で構成されている。AAB形式と呼ばれているが、これがどうやらバラッドと似ているらしい。このスタイルを十二小節スリーコードに乗っけるとブルースになる。ものの本にはこれをもってブルースの定義と書いてあるものもある。もしそうならやはりブルースって言うのは単調でとっつきにくい音楽なんだろうなと思う。 いろんなとこでブルースを演っていると、様々な人とセッションする機会に恵まれる。時にはジャンルを超えてのジャムセッションにも遭遇する。すくなからず経験するのがジャズの人たちとのセッション。卓越したテクニックに裏づけられた見事なアドリブとソロまわし。計算され尽くしたフレーズの洪水。意外な美しさで人をはっとさせる代理コードの面白さ。すごく勉強になるのだが、なにか物足りなさを感じる。その何かに最近気づいたのだが、どうやら彼らのブルースの定義は前述の形式による定義のようだ。
コールアンドレスポンス。呼びかけと応答。これを抜きにして本物のブルースを演奏することは出来ないと私は考える。「十字路に行って、ひざまづき」と呼びかけると、それでどうしたとハープが応える。再度「十字路に行って、ひざまづき」と呼びかけると今度はギターが、だからどうしたと応え直す。スライドギターがギュイーンと呼びかけ、ボッボとハープが応える。これがなければブルースは成立しない。コールアンドレスポンスこそがブルースの本質であり最高の醍醐味なのである。
『奇魂』第三號掲載
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