11月24日(金)烏丸丸太町・陰陽

今回の京都行きはちょっとしたOFF会。

夕方7時より陰陽(ネガポジ)にて、初対面の方々とお会いし楽しいライブを楽しみました。

貝殻ドルイドライブ

アイリッシュバンド みゅーずのメンバー( 陳五郎(ギター)、大城敦博(ヴァイオリン)、木村陽子(ヴォーカル))に今回ウベ・ワルタ(尺八)さんが加わり楽しいライブが繰り拡げられました。

貝殻ドルイド

ウベ・ワルタさんは、尺八との事でしたが力強い存在感のあるテノールを聞かせて頂いたり。

流暢なというよりは達者な関西弁で楽しい時間をありがとうございました。

ウベ・ワルタ氏

終電を気にしながら飛び出したのは残念です。

(明くる日法事だったので宿泊する訳には行かず・・w)

(makoron〜11月27日風の吹くままにより〜)


7月28日(金)横浜・グリーンシープ

眼が覚めた。時計を見ると午前8時を少し回ったところであった。カプセルホテルの一室である。そこは睡眠する為だけに作られた小空間であった。隣の部屋で寝ている陳五郎さんを起こさないように気をつけながら、俺は鉄梯子を使って、通路に降りた。出発の前に一風呂浴びる心算であった。チェックアウトは午前10時。それまでにはまだ時間がある。隣室のブルースマンは連日の強行軍が祟ったのか、体調が思わしくないらしい。せめて時間ギリギリまで休んでもらおうと思った。一方の俺は異様に元気であった。昨夜のライブの興奮が未だ冷めやらぬ感じ。食欲もある。遊んでいる間はとにかく元気である。これが俺の体質であるらしい。この元気が仕事の際に出れば「もう少し出世したんじゃないかな」などと、愚にもつかぬ事を思ったりする。今日のライブ会場は横浜のアイリッシュパブ・グリーンシープ。陳五郎さんを会場まで無事送り届ける事が自分の使命であると、俺は勝手に思い込んでいた。

「熱いコーヒーが飲みたい。まともな椅子に座りたい」という陳五郎さんのリクエストに応えるべく、昭和通を横断して、俺は御徒町ステーションホテルの丁度対面に位置するホテルへと案内した。このホテルの1階がファミリーレストランになっている事を思い出したのだ。都内には恐ろしい数の喫茶店が存在するが、ゆったりと腰を落ち着けられる店は案外少ない。お手軽な値段を売り物にしている某チェーン店などでは―確かに値段は安いのだが―コーヒーを注文すると、何やら得体の知れぬ黒い液体が差し出されたりして、正直気持ちが悪い。あの液体の正体が何なのか考えただけでもゾッとする。あのようなものを体調不振の陳五郎さんに飲ませたら更に気分が悪くなるだろう。多少値段が高くてもちゃんとしたコーヒーが飲める店にしようと思った。

レストランに行くとモーニングサービスの時間帯であった。意外に豪華なメニュー。コーヒーや紅茶も飲み放題である。テーブル席はソファが用意してあるので、背中を預ける事も可能だ。一応陳五郎さんの要望はクリア出来たかなと安堵する。体調が悪い上に「2時間しか寝られんかった」という割には陳五郎さんの食欲は旺盛であった。もしかすると無理矢理食べているのかも知れないが、そこまではわからない。食べられる時に食べる。というのは戦士の嗜みのひとつである。これまでに数々の修羅場を通過してきたという陳五郎さんの事だから、その辺の気構え心構えは―別に松本零士のマンガを読まなくても―充分に備わっているだろう。食事とコーヒーを楽しみながら雑談に耽った。このように面と向かって陳五郎さんと話すのは久し振りであった。

レストランを出て、JR御徒町駅に向かう途中、陳五郎さんがかつて通っていたという御徒町将棋センターに寄ってみた。尤も「寄ってみた」と言ってもビルの前に暫し佇んだだけの話だが。ここは都内在住の将棋好きの総本山のような場所と言って良いだろう。まあ、ミニ梁山泊のようなものである。館内では一癖も二癖もある猛者巧者が激しい戦いを演じているのだろう。そんなイメージ映像が俺の脳裏を過ぎった。陳五郎さんによればビルの様子も周辺の雰囲気も相当様変わりしたようである。時が流れれば街もそれなりに変化変貌する。我々人間と同じである。生れ落ちてから「全く変わらない」人を探す方が難しいのではないだろうか。

陳五郎さんはギターだけではなく、将棋の方もかなりの腕前と聞いている。俺は駒の名前と動かし方ぐらいしか知らないが、この国産盤上遊戯の完成度は世界水準だと思っている。これほどよく出来たゲームは稀であろう。囲碁やチェスに匹敵する面白さ、奥の深さを将棋は備えているのだ。推理力、思考力の鍛錬にもなる。ニッポン政府もマンガやアニメだけじゃなく、将棋も大いに売り込んでもらいたいものだ。残念ながら、この日は流石の陳五郎さんも「いざ道場破り」と、洒落込む時間と余力はなかった。因みに陳五郎さんはかの《三大真剣師》の内、その二人と対局したという実績を持っている。これは結構凄い話である。俺も驚いた。陳五郎さんは俺の想像を超えた経験を積んでいるのだと改めて思った。さて《真剣師》とは一体如何なるタイプの人間なのか。それは皆さんに調べて戴くとして、我々は横浜に向かうとしよう。

山手線で秋葉原まで移動し、そこで京浜東北線に乗り換える。そのまま電車に乗っていれば自動的に横浜に着く。神出鬼没で鳴らす陳五郎さんだが、この地に降り立つのは初めてという事であった。平日だというのに人手が多く、日差しもきつかった。季節は夏。暑い。本当に暑い。ジッとしているだけで汗が吹き出る。まずは今夜の会場を探し出す事が先決であった。地図を頼りにしてグリーンシープを目指す。やや手間取ったが、何とか目的の店を発見する事が出来た。開場までは時間がたっぷりとある。大城さん&木村さんとの合流時間(午後3時)まで、陳五郎さんはひたすら体力の回復に専念していた。俺は手負いの狼が傷が塞がるのを待っている姿を連想した…って、こんな事を書くとまたぞろお叱りを受けるかも知れませんな。

グリーンシープは内装もメニューも凝っていた。ドアを潜れば、そこはアイリッシュワールド。店員さんの教育も行き届いていて、気持ちがいい。言葉使いは丁寧なのだが、何処か豪放な感じがする。これが浜っ子気質というものなのだろうか。まるで船乗りと話しているような気分だ。陳五郎さんもそんな雰囲気が気に入った様子である。開演が近づいてくると、それに比例して、陳五郎さんの気合も増すようであった。プロである。俺達はカウンター席に陣取り、シープ自慢のギネスビールを呑みつつ『大魔神』『座頭市』等、往年の大映映画について話したりした。およそアイリッシュパブには相応しくない話題だが、俺としては興味深か った。

その後、大城さんと一緒にステージに上った陳五郎さんが、試験的な演奏を始めた。二人の愛器が奏でる旋律が店内に流れた。既に相当数のお客さんが集まりつつある。それぞれの歓談に没頭しているかに見えたお客さんが、陳五郎さん達の演奏が一区切りつくや否や、盛大な拍手と歓声を上げ出したので、ビックリした。質問や掛け声が活発に飛び交う。その反応の良さに彼らの音楽や芸能に関する愛着の深さを感じた。聴き手が優秀だと、送り出す側も弾き甲斐があるというものだ。ライブの成功を確信させる心地好い光景であった。

開演まで街の見物に出かけていた木村さんが戻ってきた。早くも大盛り上がりに盛り上がっている店内に彼女も驚いた様子であった。お客さんの醸す熱気が室内の温度をも上げてしまいそうな勢いだ。その頃にはカウンター席もテーブル席もほぼ満員の状態になっていた。木村さんの友人にもお会いする事が出来、短い間ではあるが、話を伺う事も出来た。最初のステージを聴き終えたところでグリーンシープを後にする事にした。昨夜は宿の手配、今日の昼間にはギターの運搬をさせてもらったりして、陳五郎さんの俄かマネージャーを気取った二日間だった。横浜駅に向かう俺の背中に拍手や歓声の余波が飛んできた。みゅーずの関東初陣の上首尾を祝いつつ、俺は駅へと繋がる道を歩いていた。夜になっても、港町ヨコハマは依然暑く、そして、熱かった。

(12月3日記、宮村直佳)


7月27日(木)銀座・ロッキートップ

音楽の神々、銀座に降り立つ

前日出張から戻りややお疲れ気味だし、仕事も山積。まぁ、いつもの残業パターンなんだが、上司・同僚達が比較的早く会社を去ってくれたので、キリのよいところで仕事を切り上げたのが19時20分くらい。それならば前から目をつけていたライブを観に行こうと銀座Rocky Topへ向かった。

お目当ては京都を中心に活動されている「みゅーず」というグループ。以前ネットサーフィン中に見つけて興味を持っていたグループだ。

到着したのが20時ごろ。すでにライブは始まっていたがうまく曲間に入ることができた。

Solasでお馴染みの「Pastures Of Plenty」、Pentangleでお馴染みの「House Carpenter」にBothy Bandでお馴染みの「Do You Love An Apple」の3曲を聴いて1st Setの終了。う〜ん、なかなかいい感じだ。ヴォーカルの木村陽子さん、どこかで見たような気がするのだが、とにかくいい声だ。Karan Casey(Solas)やKathy Jordan(Dervish)系の声かな。非常に通りがよいし雰囲気がある。歌モノ3曲だったので非常に印象に残った。

休憩中、トイレに立ったときに「ゆっくりセッション」でご一緒したC子さんと出くわす。mixiの日記にも告知されていたが木村陽子さんとお友達らしい。

2nd Setは今日の中では最もアイリッシュ色が強く感じられたセットだったと思う。最初は陳五郎さん(g)と大城敦博さん(fiddle)のデュオで「Chief O'Niel's Favorite」(Hornpipe)からスタート。2曲目は大城さんが鳥の鳴き声をフィドルで模す企画を間に織り込む楽しい雰囲気。「鳥の鳴き声」の割りに「美空ひばり」のリクエストで「川の流れのように」だったり、コンビニの自動ドアが開いたときの「ピロピロピロピロピロ」なんて音だったりで、「どこが鳥やねん!」というのもあったが(笑)、ネタとしてはじゅうぶん楽しませていただいた。

このセットで一番気に入ったのは「Down By The Sally Gardens(Air)〜Toss The Feathers(Reel)〜Drowsie Maggie(Reel)」。スローエアでの木村さんのヴォーカルから高速リールへつなぐ進行感が実に心地よかったなぁ。

さらに休憩を挟み、3rd Setはどちらかというと多国籍軍といった感じのセット。やはり陳五郎さんと大城さんのデュオで「Amazing Grace」からスタート。G線開放弦でドローンを流しつつ、D線でメロディを奏で静かに始まる。突然「歌ってエェかな」と陳五郎さんがドノヴァンの曲を歌うシーンもあった。木村さんが歌っていたスコティッシュは「Once I Had A Sweet Heart」だったかな? 急にグループの雰囲気がPentangleになったような気がしてしまった。このセットはスペイン・ガルシア地方のケルティックもあり飽きることなく終演を迎えた。アンコールを2度してしまったために予定にない「竹田の子守唄」となり、歌詞カードを持ってきていない木村さんが狼狽するという一幕もあったが、始まってみれば楽々こなしておられた。やっぱり凄いですねぇ。

終演後は、終電車の問題もあるのでそそくさと上着を着て帰ろうとしていたら、C子さんから木村陽子さんを紹介していただいた。ここで先ほどの謎が解明することになる。紹介していただいた瞬間に木村さんの方から「ひょっとして京都のウッドノートによく顔を出されている方では?」との問い掛け。こちらも「あぁ、そうだったか」と気付いた。今年のゴールデンウィーク、ウッドノートのセッションに参加したとき(過去記事はこちら)にお会いしたのだった。勿論私はしょっちゅうウッド・ノートに顔を出すどころか、1度しか行ったことがないわけだが...(笑)。不思議なところで繋がるものである。mixiにも入っておられるとのことで先ほど覗きに行ったら、阪神フィドラーズ・ネストのお歴々がわんさかマイミクに入っていたりする(笑)。あぁ、実に世間は狭いのぉ。

みゅーずの皆様、素晴らしい演奏をありがとうございました。そして、C子さん、過去の記憶を呼び覚ましていただく紹介をありがとうございました。

(モハー〜7月28日モハーの音楽日記・競馬日記より〜)


7月27日(木)銀座・ロッキートップ

〜その壱〜

銀座線銀座駅を下車して、改札を潜り、地上に繋がる階段を使って外に出ると、かの街は大層な賑わいを見せていた。宵の口である。一日の勤めを終えた人達が仕事の緊張を解き、ほっと寛げる時間帯だ。無論、夜の店を経営する者にとってはこれからが稼ぎ時となる。ロッキートップ。それが今夜の目的地であった。普段は京都を中心に演奏活動を展開している《みゅーず》の関東進出(だと思います)第一弾だ。頼りない記憶を探ってみると、今回のライブは俺にとって2年振りの再会の場という事になる。陳五郎さんと直接お会いするのも久々である。ネット上ではしょっちゅう会話をしているのだが、やはり直にその人に会って、その人の顔、もしくは眼を見ながら、肉声や酒杯を交わすのが本当の意味での「人に会う」という事ではなかろうか。

みゅーずの銀座ライブと横浜ライブに合わせて、俺は休暇を取る事にした。当日になってバタバタするのが嫌だったからである。郷里にいた頃は滋賀県(職場)から京都(会場)に向かうというパターンが多かった。その頃は財布にも多少余裕があったので、米原駅から新幹線に飛び乗り、京都駅からはJR私鉄を乗り継いで会場に辿り着…と言うより突っ込んだものである。ギリギリの時刻まで会社にいて、もうダメだという時点で出発する為、会場に到着した時には汗だくである事も少なくなかった。やれやれ、間に合ったかと安堵して、おもむろにビールを注文するのである。旨かった。今にして思えばあのビールの味は格別であった。

ネットカフェで印刷した地図を見ながら俺はロッキートップを目指した。今夜は相当に呑む事になるだろう。みゅーずの心地好い音楽は酒を美味しくする効能があるからである。えっ、それはお前だけだろだって? そうかなあ。嘘だと思うなら是非あなたもみゅーずのライブに来て下さい。年に1度か2度のペースで悪酔いをしてしまう忌まわしい癖が俺にはあるが、今夜に限っては絶対にソレを回避しなくてはならない。今夜粗相をしでかしたら俺は生きている資格すら失うのだから。豆腐の角に頭をぶつけて死ななくてはならないのだから。そんな訳で考えられる限りの悪酔い対策をした。万事大雑把な性格の俺としては異例の慎重さと言えた。まず充分な睡眠。呑む前に少し腹に蓄えておく。蕎麦や饂飩で構わない。とにかく空きっ腹に酒を注ぎ込む事は自殺行為に等しい。いざ呑む時は強いアルコールは避ける。所謂チャンポンなどはもっての外である。尚、二日酔い防止薬の服用も検討したが、そこまでやると、かえって体の方が吃驚する恐れがあるので中止した。

さて、そのような事を考えながら、俺は黄昏の銀座を彷徨っていた。徐々に目的地が近づいている事を肌身で感じる。正体不明の緊張感を覚え始める。心臓の鼓動が速くなる。手に汗が滲み出す。ドキドキする。演奏者でもなく、観客の一人に過ぎない俺が緊張してどうしようというのか。アホか俺は。ああ。とうとう俺の頭も本格的に狂ってきたのか。マジでヤバイぞ。気がつくと、俺は目的の路地に足を踏み込んでいた。東京ビルの3階にその店はある筈であった。果たして俺の眼の前に東京ビルが建っていた。何たる冒険。何たる長い旅であった事か。俺は建物に入り、丁度地上に来ていた昇降機に乗り込んだ。狭い。必要最低限の広さしか確保されていない。流石は大銀座。いや待てよ。このエレベーター…まさかシン×ラー社製じゃないよな? 人間というのは奇妙な時に奇妙な事を思い出すものらしい。もしこの昇降機が中途で止まり、この中に長時間閉じ込められでもしたら、てめえブチ殺すぞ! と、叫んでいた。一体誰を「ブチ殺す」心算なのかは自分でもわからないが、俺は一人で息巻いていた。仮に他人がこの光景を見ていたとしたら、多分狂人に映った事だろう。

東京ビルの昇降機は正常に作動し、俺はロッキートップの階に無事到着した。店の前には「閉店」の札が提げられていた。もしかして、みゅーずのメンバーはもう中にいるんじゃないかな。思わずドアの硝子部分から店内を覗き込もうとしたが止めにした。少し落ち着こう。場所は把握したので、一旦外に出て、コーヒーでも飲むかとも考えたが、この期に及んでサンマルク・カフェでもないだろうと思い直し、俺は店のドアを開けた。まだ準備中ならその時こそ、コーヒーでもミルクセーキでも好きなだけ飲めばいい。但し昇降機を使う気はなかった。中に入ると、西部劇さながらの世界が俺を迎えてくれた。夜の銀座に漂う異空間。何度も通ったうーらら(西院)や、ざぶざぶ(伏見)に雰囲気も室内装飾もそっくりである。あれ…俺は今何処にいるんだっけ? その瞬間、強烈な既視感に襲われた。勿論店の人にはそのような俺の内面などわかる筈もなかったが。

名前を告げると、店員さんが予約席に案内してくれた。店内中央の好位置である。ステージはテーブル席ひとつを挟んだ距離にあった。正面の席には「森様」と記された紙片が貼られていた。お客の姿は見えない。どうやら俺が一番乗りだったようである。みゅーずのメンバーはボーカルの木村さんのみが入店されていた。店の人に聞いてみると、陳五郎さんと大城さんはまだ移動中という事であった。俺の顔を見た木村さんが一瞬「ん?」という表情をされたが、敢えて黙っていた。開演前の神聖な時間を俺如きが乱しては悪い。さしもの俺もその程度の分別はある。だが、飲酒に関する分別はなかった。メニューを見ると、酒肴も酒類も銀座価格である。だが、今夜は祭だ。軍資金もそれなりに用意している。景気良く舶来ビールを注文する。すぐに水滴の浮いた中ジョッキが運ばれて来る。一気に呑み干す。美味しい。懐かしい味が2年越しで俺の喉に蘇った。

(8月6日記、宮村直佳)

〜その弐〜

舞台の脇に置かれたテレビでは観た事もないような映像が流されていた。モノクロの映像である。かつてアメリカで放送されていたと思われる音楽番組である。字幕はない。カントリーミュージックをメインにした番組のようである。かなり貴重なテープなのだろうか。俺の知識ではその価値を測定するのは不可能であった。番組の途中に挿入されるミルクのCMが面白かった。俺はビールを呑みながら古色蒼然たる白黒映像をボンヤリと眺めていた。そんな事をしている内に二人連れ、三人連れのお客さんが続々とやって来る。大半が事前に予約を入れている人達であった。店内の雰囲気も加速的に賑やかさを増す。そして、俺宛の電話が届いた。

店員さんに呼ばれて、俺はカウンターの脇にある電話の受話器を取った。あおしょう君であった。俺の携帯の番号がわからないので、店の電話に直接かけてきたらしい。どうにか仕事のメドがついたので、これからロッキートップに急行するという事であった。友情に厚いと言うか、義理堅いと言うか、行動力に富んでいると言うか、相変わらずイイ男だなと思った。電話を切り、店員さんに頼んであおしょう君の席を確保してもらう。俺や森さんが座るテーブル席の隣のテーブルである。出来れば同じテーブルに集結したかったが、当日予約だから致し方あるまい。その時、ドアが開き、黒尽くめの人物が店内に滑り込んできた。陳五郎さんであった。

「あっ…」唐突な来訪に俺は不覚にも絶句していた。個人的な話題で恐縮だが、陳五郎さんと直接対面するのは一昨年の夏、郷里の友人達が催してくれたミニキャンプ以来であった。その日、陳五郎さんは息子さん(美形です)連れで駆けつけてくれたのだった。俺達がデタラメにこしらえたすき焼きとも寄せ鍋ともつかぬ奇妙な料理を文句も言わず食べてくれた記憶が今尚鮮明である。陳五郎さんはあの日から少しも変わらぬ仙人然とした風貌をしていた。ブルース仙人の後ろには、陳五郎さんの腹心とも呼ぶべき、フィドルの大城さんが控えている。各地転戦を経た結果だろうか。大城さんの顔には俺の知らぬ迫力と野性味が加わっていたのだった。

大城敦博、陳五郎、木村陽子…みゅーずのメンバーが顔を揃えた。料理を選ぶ声。酒を頼む声。仲間と語らう声。主役の登場で店内の活気は上昇する一方であった。俺は幾分モジモジしながら(なんでだ)ステージで演奏の準備を始めている陳五郎さんに挨拶をした。陳五郎さんは「おう、元気か」というような感じで一冊のノートを渡してくれた。それは、みゅーずのライブを鑑賞したお客さん達が直接感想を書き込んだノートであった。言わば「みゅーずの歴史書」と言って良いだろう。今夜は関東圏のお客さんがこのノートに感想を綴る事になるだろう。みゅーずもいよいよ全国区になってきたぞ。俺は陳五郎さんに今夜の宿の手配を頼まれて、一旦ロッキートップを出た。滅多に使わない俺の携帯電話にもようやく出番が回ってきた訳である。御徒町にある馴染みのビジネスホテルに連絡を入れると「予約しなくても大丈夫」なぐらいに部屋(カプセル)は空いているそうであった。ネグラが確保出来れば気が楽である。俺も今夜はそのホテルに泊まる心算であった。

ステージでは本番前のリハーサルが始まっていた。そこにあおしょう君がおもむろに登場する。またしても個人的な話題だが、彼とは昨年の晩夏、某有名神社を案内してもらって以来の再会であった。なんたらチルドレンなる耳障りな流行語を産み出す要因となった大選挙の日であった。その日は天候が思わしくなく、傘を差しながらの参拝であったが、雨に濡れる神社と言うのも、それはそれで趣があった。日本最強の神社マニアに案内してもらうのだから贅沢な話であった。ロッキートップに現れたあおしょう君はしっかりカタギの格好をしていた。彼は真面目な勤め人なのだ。ビールジョッキを傾けつつ、あおしょう君と雑談を楽しむ。俺の「携帯でブログを呼び出すとどういう具合で映るのか?」などというバカな質問にも丁寧に対応してくれるあおしょう君。そこへ、我々の大将が着陣した。森さんである。森さんは俺同様「カタギじゃない格好」をしていた。

森さんとも久々の再会である。この前お会いしたのは確か後楽園ホール。職場の同僚であるボクサー山田の第二戦。その観戦にわざわざ足を運び、声援を送ってくれたのだ。森さんと山田の間に面識はない。ただ俺の知り合いという根拠だけで森さんは訪れてくれたのだ。義侠心にも似た森さんの心意気に俺は感動した。頑張れ、山田。今度こそ勝ってくれ。先日はボクシング、今夜はアイリッシュ音楽。どちらもライブで観た(聴いた)方がより楽しめる分野である。芝居演劇も直に観た方が断然イイ。リング(ステージ)で繰り広げられる達人同士の激突や共演は観る者の魂を酔わせ、揺さぶり、震わせ、時間を忘れさせる力があるのである。森さんもビールを注文し、改めて乾杯となる。俺達のつき合いは高坂さんの『奇魂』を源流としている。その三人がそれなりの人生の変転を味わい、今夜このロッキートップに集った。みゅーずの…陳五郎さんの演奏を聴く為に。またとない幸福な時間であった。じゃらん。陳五郎さんのギターが鳴った。ライブの始まりであった。

(8月13日記、宮村直佳)

〜その参〜

《みゅーず》の銀座ライブが始まった。記念すべき東京(関東)進出第一夜に立ち会えた幸運に俺は酔った。俺自身は音楽に対する知識も経験も皆無に等しいが、みゅーずの音楽は何処か懐かしく、日々の生活で心に負った諸々のキズを癒してくれるような――個人的には余り「癒し」という言葉は使いたくないのだが、他に適当な言葉が見つからない!――優しさが感じられるのだった。陳五郎さんのギターが抜群に良いのは、まあ、当然と言えば当然である。今回は大城さんの成長振りに驚かされた(なんか偉そうだな)。大城さんが操るフィドルは彼自身が製作したものである。自分で作った楽器を自分で調整して自分で演奏するというのだから凄い。まさに現代の吟遊詩人だ。曲の間に挿入される陳五郎さんとのトークも絶妙な味。客席も大いに沸いていた。

大城さんと陳五郎さんが繰り広げる「珍」トーク。今夜は京都から東京へ在来線で移動するという大変な旅を経ての銀座登場となった訳だが、その道中で遭遇した異国の旅人との交流が披露された。向こう側としても、独特な雰囲気を湛えている正体不明の(失礼)日本人に興味を覚えたのだろう。陳五郎さんが今回のライブスケジュールを説明すると、かの旅人は仰天した様子であったという。確かに東京→横浜→名古屋を2泊3日で消化しようというのだから相当な強行軍である。横浜から名古屋の移動は睡眠も兼ねている。青春18キップを駆使しての旅である。俺も何度か経験しているが、夜行列車に揺られながらの睡眠は眠りが浅く、疲れが取れ難い。演奏活動もスポーツ同様、体力勝負の所がある。体力維持には充分な睡眠が欠かせないのだが…。

例え寝ていなくても一度ステージに上がれば100%燃焼するのが真のプロという意見もあるだろうが、みゅーずのメンバーには、体にも気を使って欲しいなというのが俺の本音である。特に陳五郎さんはトシもトシだしねえ…なんて、こういう余計な事を言うから、いつも顰蹙を買っちゃうのかな。でも、マジで体は大切にして下さい。大きなお世話ですが。件の旅人さんは大城さんと陳五郎さんを「あなた達はスーパーマンだ!」と評していたとか。そう言えば、映画版の『スーパーマン』が先頃復活しましたね。全然関係ないけど。

木村さんがステージに登場し、みゅーずの音楽に艶やかな歌声が加わる。これがみゅーずの究極形態である。俺もビールを呑む手を少し休めて、木村さんの歌に聴き惚れる。学生時代、音楽も苦手だったが、語学もまるでダメだった。俺には木村さんの歌う歌詞の意味は全くわからない。自分の教養の無さを痛感するのは案外こういう時だったりする。学生の皆さん、勉強が出来る時はそれなりにやっておいた方が将来恥を掻かなくて済みますよ。これは人生の敗残者ならではの忠告、いや、警告です。遊んでばかりいると、いつかそのツケが数倍になって跳ね返ってきますから。ただ、木村さんの歌声には俺の軽薄さを埋めてくれるだけの魅力が備えられているから大丈夫。切なくもあり、物悲しくもある。それでいて元気を与えてくれるパワーもある。

森さんとも話したのだが、これこそが芸能の原点ではないかと思った。仕事を終えた庶民が酒場に集まり、酒杯傾けながら、旅の一座の芸を楽しむ。その日のストレスを解消した庶民は明日の仕事に勤しみ、芸人達は次の町に向かって旅を続けるのだ。そんな原始的芸能(アナログ世界)が21世紀の銀座に再現されているというのが面白い。今夜この店に集まっているお客さんはインターネット(最強デジタル)でライブ情報を得た人も多いというも面白い。アナログとデジタルの不思議な融合がこの夜、成立してしまったのである。

今夜のライブは合計3ステージ。ステージのステージの間に休憩時間が設けられている。この休憩は演者と観客の交歓の場でもあるのだ。みゅーずの基本的なスタイルである。店の人が気を利かせてくれて、森さんとあおしょう君と俺の3人が座れる席を用意してくれた。店の配慮に感謝しつつ、舞台脇の四人がけのテーブルに移動した。ここに木村さんの御友人が加わり、楽しさ、華やかさが増した。ステージを降りた陳五郎さんと森さんが再会の挨拶を交わす。俺としては全く頭の上がらない先輩二人である。追求する道(ジャンル)は異なるものの、この両雄には酷く似通った匂いを感じる。オトナの男、達人同士、豪傑同士の友情には時間だの言葉だのは必要ないのであろう。二人が直接対面した回数は恐らく2〜3度ぐらいだと思うが、傍から眺めていると旧知の親友のように見える。さながら『水滸伝』の一場面に接したような気分である。同時に名古屋城の堀端で偶然出遭った宮本武蔵と柳生兵庫が意気投合したという伝説を思い出したりもする。

今回ビックリしたのは木村さんの記憶力の確かさである。俺がこの店に訪れた時、既に「何処かで見たような人だな」と思っていたそうである。だが、さしもの木村さんもすぐには「宮村」とはわからなかったようである。この2年間で人相も変わったし、髪も伸びた。眼鏡も使用するようになった。わからなくて当然である。と言うより、俺みたいなザコキャラの為に記憶ファイルを使ってもらう方が勿体ないし、申し訳ない。随分変わられましたね〜。とは木村さんの感想。俺自身も密かにそう考えていたのだが、森さんに「一緒だよ。この男は全然変わってないって」と、あっさり否定されてしまう。そんな俺達のやり取りをあおしょう君が上品に笑いながら眺めている。みゅーずの夜がゆっくりと、心地好く更けていった。

(8月20日記、宮村直佳)

〜その四〜

かくして《みゅーず》関東初陣は好評の内に幕を閉じたのであった。合計3ステージ、ダレることなくお客を魅了し続けるのは簡単ではない。これは、大城さん、陳五郎さん、木村さん…各メンバーが有する実力魅力を物語る証でもある。久々にライブの迫力に酔った夜でもあった。やはり音楽や演劇はナマで鑑賞した方が臨場感があるし、その醍醐味を堪能出来る。何もかも演劇に例えて恐縮だが、ツマラナイ芝居は1分が1時間のようにも感じられる。逆に面白い芝居は「えっ?もう終わりなの」と寂しくなるぐらい時間が過ぎるのが早い。余韻も深い。お客が「コレ、いつ終わるのかな」と時計を気にし出したらその時点でアウトだ。前者の場合は終幕後「てめえ、カネ返せ!」と絶叫したくなる。言うまでもないが、みゅーずのライブは後者である。

ラストステージでは陳五郎さんの歌声が聴けるという大ボーナスもあった。みゅーずの活動においては敢えて脇 役に徹している陳五郎さんが主役に躍り出る瞬間であった。俺ら陳五郎ファンとしては拍手喝采のサービスステージであった。今回の曲目は拙サイトの掲示板上で陳五郎さんが予告していた歌である。勉強不足で恥ずかしいが、ドノバン主演の『ハメルンの笛吹き』という映画の主題歌であるらしい。白状すると俺自身、陳五郎さんの歌声を聴くのは数えるほどしかない。それだけに貴重な体験であった。忙しい中、森さんや俺の為にわざわざこの歌を準備してくれていた陳五郎さんの心遣いに感動した。

ライブ終了後、俺は熱気冷めやらぬ会場を出た。宴や祭の後に感じる頬が火照るような独特の感覚を俺は覚えていた。エレベーターの前で森さんとあおしょう君と別れた俺は陳五郎さんと共に夜の銀座に繰り出した。尤も「繰り出した」と言っても、今夜の宿泊所に向かうだけの話だが。陳五郎さんと歩いていると、見慣れた筈の銀座の風景が違って見えるような気がする。かつて京都のライブハウスに通っていた頃は終了後、陳五郎さん自らがハンドルを握る車に乗せてもらって、高坂邸にお邪魔し、そのまま泊めてもらうというパターンが多かった。今にして思うと、厄介をかけている身でありながら、暴言を吐いたり、泥酔したりと野蛮人めいた行動を重ねていた。我ながら己が下品さに厭きれる。まるで亡八者(詳しくは石井輝男の映画を観て下さい)である。その恩義に応えられぬ内に俺は故郷を脱け出し、関東に住み着く事になってしまったのだった。

今夜の宿は御徒町ステーションホテルというビジネスホテルであった。俺が会社員であった頃、よく利用していたホテルである。このホテルの近くに勤め先の事務所が構えられていたのだ。御徒町を基点として、我がやさぐれ営業部は都内やその周辺でテロ活動…じゃなくて販売活動を日夜繰り広げていたのである。営業世界でも落ち零れた俺ではあるが、この時期は魔都トウキョウに魅入られた時期でもあった。そして、かのアメ横にも程近い宝石問屋の町は若き日の陳五郎さんの根城のひとつでもあったのだから不思議な巡りあわせである。全くの偶然である。入社当時の俺は陳五郎さんの存在すら知らなかった。奇妙な縁を感じながら、俺達は夜の歩道を歩いた。馴染みの呑み屋の横を通り過ぎ、昭和通りを渡って、無事ステーションホテルに到着した。

予算の都合上、通常の客室ではなく、カプセルの利用となった。料金は一泊3000円弱。都内としては良心的な価格設定だと思う。1階の浴場は使い放題。各階に用意されたパソコン(インターネット施設)も無料開放されている。与えられたネグラに荷物を置いた陳五郎さんと俺は1階に戻り、フロントの斜め向かいにある休憩所(喫煙所)に入った。無愛想な室内にはテーブルと椅子が並べられており、壁際には洗濯機だのパソコンだの自動販売機だのが設置されている。長期滞在者はここで汚れた服を洗ったり、乾かしたりする訳である。言わばここは現代の行商人の為に建てられた旅籠なのである。いつもなら、旅暮らしに疲れ果てたオヤジどもが呆然たる表情でタバコを吹かしていたり、安酒を呷っていたりするのだが、その夜は無人であった。

俺は自動販売機に近づき、缶ビールを2本買った。浴衣姿の陳五郎さんと乾杯した。関東ライブ、上々の滑り出しを祝うささやかな酒宴であった。さしもの強靭な体力を誇るブルースマンも疲労困憊の様子であった。無理もない。京都から東京へ。青春18キップの旅である。東京駅に辿り着いて、体を休める余裕すらなく、ライブ会場に突入、熱血のステージをこなしてしまうのだから驚異的である。かの旅行者ならずとも「あなたはスーパーマンか!」と絶叫したくなるというものだ。俺とは異なり、陳五郎さんは饒舌な方ではない。この夜も口数は少なかった。みゅーずの柱石たる陳五郎さんが倒れてしまったらそれこそ一大事である。俺達は早々に酒宴を打ち切り、各々の寝室に潜り込んだ。暫くは寝つかれなかったが、暇潰しに借りてきたマンガを読んでいたら段々目蓋が重くなってきた。明日は横浜ライブ。隣室のブルースマンの体調は回復するだろうか。そのような事を考えている内に本格的な睡魔が襲ってきた。抵抗し難い眠気に俺は全身を委ねた…。

(9月17日記、宮村直佳)


7月27日(木)銀座・ロッキートップ

みゅーずに酔いしれる

7月27日 木曜日。

仕事はどうにかなった。仕事を終わらせて店に電話して、とりあえず銀座に行ってみる。

「ロッキートップ」

隱れ家のような雰囲気を醸し出すお店に向かうと、席はすでに大盛況。

もしかして当日直前に駆込みで予約電話した私はかなりギリギリの状態だったかもしれない。

19時過ぎ。

中を見れば、ビールを片手にした宮村さんがいる。ステージには、すでに本日のメインたる「みゅーず」の大城敦博氏、陳五郎氏が音を奏でて、ゲストの木村陽子氏もいる。

あれ、もうはじまってる??

と思いきや、リハーサルとのこと。

ステージの上の陳五郎さんがいち早く私を発見して頂き、豊満な笑顔で御挨拶。

その笑顔で、一日の締めをこの会場で終えることの有意義さを感じとる。

宮村さんとお疲れ様です、お久しぶりですとなんやかんやしていると森さんがやってくる。なんか懐かしい同窓会のような気分。仕事も趣味も世代も違う人たちが、ひとつに魅了されるために集まっている。

そう「みゅーず」の音楽のために。

陳五郎氏が静かに、そして激しく奏でるギター。体全体を使って、指先に込める音色の魂に会場が震える。

大城氏が、自作したというバイオリンをわが子のように慈しみながら、ゆるやかに、のびやかに響かせる、その音色。

両氏の絶妙な距離感と掛け合いトークが場を和ませ、両氏の奏でる音色に場が引きこまれる。

私がはじめてアイリッシュ音楽に真っ正面から向かい、そして聞き惚れた瞬間だった。

そのちょっとデコボコだけど、抜群のコンビたる「みゅーず」に木村氏の流麗な唄声がのる。

完全に聞き惚れました。三者三様のバランス均衡が、見事に枠にはまる。

声とギターとバイオリンが、それぞれの音を尊重しあい、盛り上がっては盛り下がるという緩急感。

場の空気に魅了され、魂が震える。

いつの間にか、会場も満席になり、いろいろな人が立ち替わり入れ替わりで、各所各方面で挨拶応受が繰り広げられる。

私たち三人は、木村陽子氏と木村氏お友達だというヒルズのお姉さんと歓談していたりもする。

このあたりは、さすがに森さんのなせる技。ちょっとグダグダに噛み合わない会話が弾む。

ステージは三ステージ制。

1st 19:30〜20:10

2nd 20:40〜21:20

3rd 21:50〜22:30

さすがに22時をすぎると、人もひき始め、残っているのは10人程度。本当にこの空間が好きな人たちが残った様子。

私は翌日は仕事だし、終電も心配であったが、まあ帰れなくてもいいや気分で、最後まで「みゅーず」に魅了される。(無事に帰れたので、問題なしでした)

みゅーずの二人。陳氏と大城氏。

みゅーずの二人。陳氏と大城氏。

ゲストボーカルの木村氏。

ゲストボーカルの木村氏。

ギターを抱きながらビールを飲むギターマン陳五郎氏

ギターを抱きながらビールを飲むギターマン陳五郎氏。かっこいいです!

日常的な機会ではなく、そこは非日常的な機会なのだから。

なかなか機会はないけれども、機会があれば大事にしたいと思うから。

大城敦博氏の人当たりの良さそうな温暖な雰囲気がステキだった。

木村陽子氏の流麗なる唄声、その唄声が産みだす瑞々しい空気感・清涼感がステキだった。

陳五郎氏のコミカルな気配とワイルドな気配、すべてを和ませる笑顔がステキだった。

アイリッシュ音楽の気配と三者三様の気配。

人間味あふれる生身の音楽、そのライブに惚れる。

貴重な体験、貴重な時間を過ごす。

ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

次の機会という、きっと遠くない未来に期待しつつ、アイリッシュ音楽との出会いを大事にしたいと思う。

(伊達青衝〜7月30日神のやしろを想う〜ぶろぐ〜より〜)

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